日本人の国民性、というか、日本人集団の伝統的特性として、「なんとかする」ではなく、「なんとかなる」という基本方針(?)があるように思う。 自律的に考え、行動して、問題を「なんとかする」のではなく、他律的、つまり、他人任せで、問題があっても「…
日本国憲法の第一章第一条。 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 今後、日本社会の多様化(ダイバーシティ化)は、間違いなく進む。個々人の考え方、価値観も多様化していく。 画一的だ…
さまざまな分野において、日本人のポテンシャルは、諸外国と比べても決して見劣りするものではない、はずだ。 そのポテンシャルが充分に発揮できない社会構造に問題がある。 成果をあげるよりも、所属集団の長(多くの場合は年長者)を満足させることに無駄…
近現代の日本社会は、他律性・受動性を基本に成り立っている。「頑張る」に象徴される、不断の努力を求められるが、何をどう頑張るかについての自律性・能動性は求められない。むしろ、所属する社会や集団、とりわけ、「上の者」の言うことに、無批判に従う…
「頑張る」というコトバにも、「何とかなるさ」同様の他律性・受動性が含まれている事実に、そろそろ目を向けたほうがいい。 と昨日の記事で書いたが、その続き。 「もはや先進国ではない。なぜ、日本経済はスカスカになったのか?」というネット記事では、…
「だまって俺について来い」というのは、いまでは古臭い、亭主関白的な男の定番フレーズだ。 …と思っていたら、発祥は違っていた。 「だまって俺について来い」は、無責任男・植木等が歌った映画の主題歌で、 脳天気な楽天主義讃歌とも、無責任な楽観主義を…
昭和という特異な時代について、考え続けている。 昭和は、端的にいえば「みんなの時代」だ。子どもの常套句「だってみんな持ってるんだもん」の「みんな」だ。本来は多様性を有しているはずの人々を「みんな」と十派一からげに扱い、「みんな」という不純物…
いまの時代、ネットには、もっともらしく、耳ざわりの良い、美しい正論が、そこかしこにあふれている。ごもっとも的な、反論するとボコられそうな正論が。 そうした、美しい正論が、僕は嫌いだ。 時代をさかのぼれば、日本がいわゆる「軍国主義」に傾斜して…
かつての戦争下、「自主的思考が不十分で権威に追従していたから、死の一歩手前まで追いつめられた」日本人が、憲法に明記された、国民統合の象徴としての天皇を支え続けていることの意味を、考え続けている。
…と、銀行の通帳を記帳したら書かれてあった。 日本は今後ますます、「国際化」が進む。労働者も、観光客も、海外からどんどん来る。元号が、どんどん要らなくなっていく。 「統合されない国民」の時代が、いずれやってくる。
先行きが見透せないとき、見透しにネガティブな要素があるとき、人は不安になる。 その見透しが詳細だったり、長期にわたるものだったりすると、ネガティブな要素は増加するから、人はいっそう不安になる。 いっぽう、先行きを見透さなければ人は不安にはな…
都会は賑やかで、きらびやかで、人々のエネルギーに満ちあふれているように見えるのだが、はたして、クリエイティブなのだろうか。 たんにコンテンツをつくっていればクリエイティブ、ということなら、都会はめちゃめちゃクリエイティブなのだけど、内実どれ…
このところ、気力がわかない。 理由については思い当たるふしもあるが、そこを問い詰めてもあまり意味がない。気力がわかなくても、やることはちゃんとやっているし、そういうときもあるさと考えるようにしている。 ところで、僕が住んでいるこの国=ニッポ…
毎日新聞2018.10.24社説「1968年、明治100年記念の時と比べてみよう。敗戦から23年、独立回復から16年。すでに東京オリンピックを開催し、高度経済成長の真っただ中にいたとはいえ、本紙社説は日本のランクを「中進国」と記している」 で、当時の社説。1968.…
いまもそうだけど、教育勅語が、ときどき、話題になる。 正直、ぼくは教育勅語じたいにあまり興味がない。内容も、目を通したことはあるはずだが、よく覚えていない。ある種の理想を掲げたもので、とくに面白いものでもないし。 興味があるのは、それが話題…
…というのは、具体的にいうと、昭和元年から、昭和50年ぐらいの間に生まれた世代のことになるだろう。 ま、ざっくり、昭和世代だ。 頑張れば夢がかなうとの神話を信じられた昭和生まれの世代こそが、「日本人」なんだ。 …ということと関係なく単にメモだけど…
現在の「日本人」という輪郭が確立したのは、1945年の敗戦後のことだ。 それまでは、朝鮮とかも「日本」だったからね。満州など含めて、「大日本」といった国家の輪郭だった。 敗戦で、「大日本」は、「小日本」になった。いまのアイデンティティは、戦後の…
ここのところ続けて書いている内容について。 つまりはだ、「日本人」というアイデンティティは、結局のところ、世代なんだ。 ある世代のアイデンティティが、「日本人」なんだ。 もちろん、日本人はずっと前からこの国に暮らしているんだけどさ、でも、日本…
さっき書いた記事「昭和史のパラレルワールド:今後「日本人」は失われていく。」で、こう書いた。 日本は「がんばって」大国になったわけではない。いくらがんばろうと、また、がんばらなくても、冷戦という国際情勢下でアメリカが下した現実的な判断がなけ…
いまの「日本人」のアイデンティティ形成の過程をみていくうえで、昭和史は決定的に重要だ。アイデンティティの萌芽がうまれたのは昭和初期で、アイデンティティが確立したのは昭和後期だから。平成は、その確立された強固なアイデンティティの弊害に悩まさ…
今朝の朝日新聞。大坂なおみ選手の活躍に関連して、 快進撃を喜びつつ、応援や報道で「日本」や「日本人」が多用されることに違和感を抱く人たちがいる。 との記事を掲載している。 下地ローレンス吉孝氏は、「当たり前で固定的だと思われていた『日本人』が…
ぼくら日本人は明治以降のこの国の歩みに規定されている。で、1945年の敗戦というファクターに目がいきがちになるんだけど、じつは本当に重要なのは、明治以降の近代化と、戦後の高度経済成長、この2点なのではないか仮説。 近代化:軍隊が浸透させた近…
けさの朝日新聞の忠鉢信一氏。 暴力や暴言を使った指導は許されないだけでなく、そもそも効果が低いとされている。賞罰によって刺激された気持ちより、選手の心の中からわき出る意欲の方が大きな成果につながる、というのが心理学やコーチ学の定説だ。それで…
昭和天皇は敗戦原因のひとつに、付和雷同の傾向をもつ日本人の国民性をあげている。(茶谷誠一2017『象徴天皇制の成立』p265) 当の国民は、なにかといえば指導者層を批判し、自らの「忖度」には触れない。 どっちが卵で、ニワトリだ。
この国には、世界的には極めて珍しいであろう尺度が存在する。 それは、「がんばる」という尺度だ。「あいつ、がんばってるなあ」といえば、それは賞賛の意をあらわしている。 しかし、その尺度は往々にして、固定した上下関係のなかで耐える、という尺度と…
いまを生きる、ぼくら日本人にとって、その歴史の直接的な出発点は、おそらく、昭和のはじめ頃だと思う。 昭和元年=1926年=92年前 そこからの日本や日本人の歩みは、「軍部」というファクターで過剰に歪められていることがあって、ぼくらが本当に納得し…
民放の娯楽系ドラマには、ときどき、はっとさせられる。娯楽なのに、すごく現代的なメッセージを、ぶちこんでくることがある。 いま放送中のドラマ「チア☆ダン」、おととい7月20日放送(第二回)の一節。 山本舞香演じる柴田茉希が、「人にあわせて踊ると…
きのうのロシアW杯初戦、日本代表はコロンビア代表に勝った。まさか勝つとは思わなかったけど、90分を通して、日本代表のパフォーマンスは良かった。たぶん、これまでW杯本選で見た日本代表の試合のなかで、最も良い試合だった、というより、やっと、ま…
日大アメフット部問題の続き。 昨夜のテレ東の「フットブレイン(FOOT×BRAIN)」に、スノーボードパラレル大回転・ソチ五輪銀メダリストの竹内智香さんが出ていて、興味深かった。竹内さんはスイス代表チームと一緒に練習をしていたときのことを振り返って、…
誰かが誰かを意のままにする、服従させる、そしてそれに従順なひと達、というあり方は、前近代的で、自立・自律した個人のあり方とは、かけ離れている。 たとえば日大アメフット部の悪質タックル問題。 アメリカンフットボールの日大と関学大の定期戦で悪質…