うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

「頑張る」には「何とかなるさ」同様の他律性・受動性が含まれている、という話の続き。

「頑張る」というコトバにも、「何とかなるさ」同様の他律性・受動性が含まれている事実に、そろそろ目を向けたほうがいい。

 と昨日の記事で書いたが、その続き。

もはや先進国ではない。なぜ、日本経済はスカスカになったのか?」というネット記事では、「日本の主要産業」のひとつに、「日本語による非効率な事務仕事」を挙げている。

事務ということでは、とにかく「原本」「ハンコ」「ファックス」「稟議書」「ファイリング」などといった昭和の化石のような日本語文書の管理ということが、今でも官庁でも、民間でも行われています。そこで職を得ている人は猛烈な数になり、そのコストも膨大ですが、どういうわけか日本の企業や政府はこれが止められないわけです。

なぜ止められないのか。それは、他律的・受動的に「頑張る」ことが、この国ではすっかり根付いてしまっているからだと思います。

高度経済成長神話には、「国民が一丸となって」といったフレーズがよく登場します。集団が一丸となることは善である、と、この国では考えられています。他律的・受動的に一丸となり、個人としても集団としても自主的思考を停止し続けるという「逃げ」に走り続けた結果、いまではそれがこの国にブレーキをかけ、この国を滅ぼす要因になっています。

ただ、日本はもう、先進国でなくてもいいと思います。そもそも、先進国というのは幻想で、せいぜいが中進国だったのではないですか。