うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

日大アメフット部問題:絶対無比の権力者としての「天皇」がまかり通る日本社会

誰かが誰かを意のままにする、服従させる、そしてそれに従順なひと達、というあり方は、前近代的で、自立・自律した個人のあり方とは、かけ離れている。

たとえば日大アメフット部の悪質タックル問題。

アメリカンフットボールの日大と関学大の定期戦で悪質な反則行為があった問題で、危険なタックルをした日大DLの選手は、内田正人監督の指示があったと周囲に話していることが16日、分かった。同選手は、退部の意向を示しており、「『(反則を)やるなら(試合に)出してやる』と監督から言われた」と語っているという。
〔略〕
この日、無防備関学大QBに背後からタックルした日大DLは「『(反則を)やるなら(試合に)出してやる』と監督から言われた」と話していることが判明した。
大関係者によると、反則を犯した選手は、下級生の頃から主力としてプレー。しかし、最近は内田監督から精神面で苦言をていされ「干されている状態だった」と話す関係者もいる。6日の試合前には、家庭の事情で約1週間、練習を欠席。定期戦前に監督から「やるなら出す」と、反則行為を条件に出場機会が与えられたという。
[日刊スポーツ2018年5月17日8時49分:日大アメフト監督が指示「反則やるなら出してやる」]

真偽は今後明らかになるだろう。この記事で書かれていることの信憑性も定かではないが、しかし、記者はおそらく、きちんと取材をしたうえで確信をもってこの記事を書いているように感じたし、そもそも、体育会的な集団では、こうした事態は充分起こりうることだろう。

こうした事態とは、監督が選手に反則を指示した、ということではなく、監督が選手に、ありえない指示を出し、選手がそれに従った、という事態だ。服従、従順の関係性だ。

どんな組織、集団であれ、上に立つ者が絶対、ということは、本来ありえないはずだ。人と人との関係性は、そんな不条理で暴力的なものであってはならない。なのに、この国では、いまだに、そんな関係性が、大手をふってまかり通っている。

いわゆる、比喩的な表現としての「天皇」の存在だ。

「○○○の天皇」などと、企業・組織や一定のコミュニティの中で絶対無比の権力や影響力を持つ特定の人物を指す表現として用いられることもある。類似語にワンマン。[link]

 いたるところに「天皇」がいる。当の天皇は戦後新憲法で象徴的存在となり、日本社会で絶対無比の権力を持つ存在ではなくなったのに。そして、おそらく今上天皇も、そんな「天皇」ではない、憲法が規定する象徴としての存在を果たそうとしているのに、いまだに古い「天皇」がはびこっている、日本という国。