うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

教育と外交の敗戦について

昭和20年の「終戦」に至る経緯とその根本理由について考えている。かつては「軍部の暴走」で片づけられることが多かった。最近ではそんな乱暴な言説はあまり聞かれないようになった。

日中戦争にしろ太平洋戦争にしろ、遡って満州事変にしろ、直接的には「軍部」の関与は大きい。だが当時「軍部」を支えたのは国民だ。戦争末期、昭和18年以降は「軍部」と国民の関係が悪化するが、満州事変で「軍部」に喝采したのは国民だ。「自主的思考」が欠如した国民という要素は重要だ。つまりそれは明治以来の教育に問題があったと思う。

そして外交。昭和16年の日米交渉の裏テーマはじつは日英交渉といえる。アメリカの行動はチャーチル率いるイギリスの外交に操られた側面がある。当時ドイツと戦っていたイギリスは何としても大国アメリカを戦争に参加させたかった。日米開戦はイギリス外交に日米が敗北した結果とみることもできるのではないか。それだけ外交が国家にとって重要だ。当時の日本外交は拙かったし、今も拙いままだ。

一国の外交力は、その国の地力に大きく左右される。国の地力の根本は教育によって培われる。まともな国民がいる国はまともな外交ができる。最近学んだばかりの付け焼刃だが、孔子いわく、徳のある人は孤独にならない。かならずそれを慕って仲間が集まる。それは国家にもいえることだろう。徳のある外交をすれば多くの国家との信頼関係が築ける。軍事力ではなく国家間の厚い信頼関係を下支えにした国防が築けるはずだ。