うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

日本的デモクラシーの正体について考察

御田寺圭氏の主張から。

国や自治体はこの1年間、自分たちの「お願い」を聞き入れてくれない者には、市民社会で「私的制裁」が速やかに起こるように最大限の工夫を凝らしてきた(事業者名や店舗名を公表するなど)。いわゆる「自粛警察」の活躍に期待してきたのである。昨年を振り返ってみると、その考えは首尾よく運んでいた。戦時中よろしく「非国民」をあぶりだし、これをリンチしてくれる国民の「自発性」によって、自らは命令を下さずにして、ほとんど命令と同じ効力の「お願い」を実現してきたのだから。

昨今の自粛警察まわり、戦時下日本との類似を指摘する声は多い。あまり安直に言うのもどうかという気もするけど。で、興味深いのは現在の状況ではなくて戦時下の状況。当時も、いわゆる軍部の理不尽な横暴的命令に国民が服従していたのではなく、現在のように国民の「自発性」が、御田寺氏の言う「国民同士の相互監視と叩き合いによって「事実上の命令」」が実現されていたのではないかという点。

こちらで以前書いたが、映画監督の伊丹万作は昭和21年に「戦争責任者の問題」と題した一文を雑誌に寄せている。

「戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか」

んで、これが、明治開国以来日本人が身をつけた「デモクラシー」の正体なんではないかというのがいまの僕の仮説。デモクラシーを輸入した際、一般大衆によって「デモクラシーの変換」が行われたんじゃないかと。