うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

デフォルト化する日本

昨日の「無責任な勤勉さ(天皇の国)」の続き。

さいきん、車で道を走っていると、怠惰な運転をする人がやけに多い気がする。代表的なのはショートカット。「だろう運転」の代表格。交通事故が減ったこと、高齢者ドライバーが増えたことなどとの関連はわからないが、路上が怠惰な平和さに溢れてきた。昨日と同じ今日、今日と同じ明日がやってくるに違いないと、根拠なく確信しているような、思考停止な路上。

全国どこにでも見られる駅前商店街の衰退は、無責任な勤勉さの成れの果ての典型例のように思う。商店街の構成員たちはみな朝から晩まで勤勉に働いてきたのだろう。がんばって働いてさえいれば幸せになると信じて。そう、信じて。でも時代は変わる。変わる時代に適応しようとしない。変わるのは自主的思考が必要だ。誰かがなんとかしてくれる的な勤勉さでは適応できない。で、放置されたまま年月が過ぎる。放置プレイがデフォルト化していくと、年々少しづつひどい状態になっていく。初めてそこに訪れた人はその有様に唖然とする。なんだこのゴーストタウンは。

焼け野原から今年で75年。少しづつ劣化していくこの国がデフォルト化していく。