うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

無責任な勤勉さ(天皇の国)

無責任な勤勉さ、について最近考えている。

勤勉なんだけど無責任。それは、戦時中の多くの日本国民に言えることではないかと思う。

戦後の代表的な言説に「軍部や特高が怖くて何も言えなかった」というのがある。でも本間報告書なんかを読むと、そうは思えない。むしろ、(特高は知らんが)政府や軍は国民におもねっていたような印象すらある。ミッドウェー敗戦を隠したのも、それまで「勝った勝った」で国民を喜ばせておいて、いまさら負けましたとは言えない雰囲気というか、国民の反発が怖かったんじゃないかと。だって、海軍は開戦前、「海の守り堅し」とか何とかホラ吹いてたがゆえに今更アメリカと戦争できないとは言えないってことだったしさ。町のいたるところには軍国おじさん、軍国おばさんがいてさ。

そうじゃない国民もいた。

某高級軍人が当時一高を訪ねた時、「ゾル帰れ」の落書きがあったという話を聞いた。「ゾル」とは当時の高校生が軍人を指す蔑称だった。また、私が偶然浦和高校生が応召学生を送る集会を上野駅前で見たが、軍人が見たら立腹しそうな「大いなる自由を愛せ」の大のぼりが立っていた。(小川再治『孤高異端』p93)

「大いなる自由を愛せ」は、大切なことだ。国民から自由を剥奪しといて、何が大日本だ、というような、健全な言説を奪ったのは、政府でも軍部でもなく、国民みずからだったのではないか。

敗色濃厚なことは充分承知のうえで軍需工場で勤勉に働いて、誰かが何とかしてくれると思考を停止する無責任さ。その無責任体系の一番上には天皇がいる。「誰かが」は下から順に上に送られ、それ以上上に行けないところに天皇がいる。

この「無責任な勤勉さ」は戦後日本、現代日本にも継承された、と僕は思っている。敗戦をきちんと反省せずにここまで来てしまったからだ。