うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

いまだ日本社会は「徹底抗戦」のなかにある。

日本社会で、本音(実態)と建前(キレイゴト)が乖離しつづけている気がする。それでも、昨日とおなじように、今日が始まり、きっと明日も、おなじように過ぎていく。そうした、一種の微温的ヌルさの中で、ぼくらは自ら何かを打開しようともせず、時が過ぎるのを他律的に待っている気がする。

本音と建前の乖離は、73年前の終戦直前も同じだった。その乖離は、日々大きくなっていった。軍の作戦指導者らは、局所的にでも敵(米軍)に手痛い一撃を与えることで無条件降伏を免れようと懸命だった。だが、マリアナ沖海戦の敗北以後、通常作戦では一撃は不可能となった。特攻作戦が始まった。米軍の進攻速度は想定以上に速く、対応は常に後手に回った。日に日に、一撃の可能性は低くなっていった。それでも戦争は続行した。本音と建前が日々著しく乖離していくなか、叫ばれる言葉はどんどん空疎な枕詞となっていった。日本国全体が思考を停止させ、最後には神風が吹くなどとファンタジーの世界に逃避した。神風は、吹かなかった。

この無責任なヌルさは、いまの日本社会を覆っている。という意味で、いまだ日本社会は「徹底抗戦」のなかにある。