うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

明治開国以後、なんとかなったニッポン史(仮)

明治以前の日本の庶民は、貧しいなりに、そこそこ幸せな暮らしを送っていた。…とする。彼らの基本的な考え方は、「なんとかなる」だったものと。

明治開国は、庶民にとって幸せだったか。富国強兵にせきたてられる。軍隊が近代的な生活様式をもたらす。天皇を頂点とした国家体制に組み込まれる。激変のなかでも、彼らの基本的な考え方は変わらなかった。「なんとかなる」と。

天皇を頂点とした体制と、「なんとかなる」が合体したのが、その後の日本の歩みだ。

国際連盟脱退→なんとかなる。

悪化する戦況→なんとかなる。

戦後復興→なんとかなる。

高度成長→なんとかなった!

結局、高度経済成長による「大国」成就をもって「なんとかなった」日本ではあったが、もともと、「なんとかする」ではなく「なんとかなる」と考えてずっとやってきたから、この先のビジョンなんてない。

戦争の敗因:日本は、頑張ったから負けたのだ。

太平洋戦争で日本はなぜ負けたか。

まず、もともと勝てる戦争ではなかったとの意見はもっともだ。だが、戦争と外交を一体のものとみなせば(というか一体だ)、劣勢を承知のうえで戦略的に戦い、何らかの成果を得るという考え方もある。その戦略をもたないままに戦争に突入してしまったという面もあるだろう。

ともかく、戦争に突入してしまった日本が、南方資源を絶たれ、国民生活は困窮し、サイパンアメリカに取られ、空襲を雨あられのように浴び、沖縄戦で無数の悲劇を生み、原爆を投下され、ソ連侵攻を受けて敗北したのは、何故か。

それは、頑張ったから、である。

頑張りとは、究極的には(ちょっと乱暴に言うが)、自主的思考を放棄して集団の利益に奉仕する行為だ。日本軍の前線兵士たちは、頑張った。あまりに頑張ったので、戦略戦術を統括指揮する中央が、その頑張りに依存してしまった。前線兵士が頑張ることを前提に作戦を立てるものだから、補給を無視した苛烈な作戦になった。国内の日本人は、困窮によく耐えて、頑張った。あまりに頑張ったので、やはり中央は、その頑張りに依存してしまった。国民生活を犠牲にして戦争を続行した。

前線兵士が頑張らなければ、国民が頑張らなければ、あの無茶な戦争は、もっと早い時期に続行不可能となっていたはずだ。それをわかっていたからこそ、中央の政府・軍は、懸命に国民を鼓舞していたのだ。国民がもっと大胆に、兵器工場での労働をサボったりしていればよかったのだ(←一部の学生たちはそれをやっていた)。

国民が自主的思考を放棄したことが、いちばんの敗因だと思う。

参照:平和≒戦争:「戦争は絶対にダメ」は、逆に戦争へのエンジンとなりうる

自主的思考と象徴天皇

こないだ、朝日のオピニオン「平成流の象徴天皇」に掲載されたものを抜粋。

平成の時代には天皇と政治との関係が大きく変わりました。日本国憲法が求める象徴天皇像からの逸脱がさらに進んだと言っていいでしょう。〔略〕戦争を繰り返さないこと、戦争に対する責任を明確にすることは、国民が自らの主体的責任で解決すべき問題であり、天皇の「おことば」や訪問で代行したり、解決したりできないし、またすべきでもありません。〔略〕国民が選出したわけではない天皇の権威に依存し、代行してもらおうという心情こそ、主権者国民の責任をあいまいにし、民主主義の精神を掘り崩すものです。
渡辺治朝日新聞2019.3.7朝刊15面

 「国民が自らの主体的責任で解決すべき」が、この問題のキモだと思う。

明治以来の天皇制は、自主的思考とは相容れない。天皇制は一様制のためのもので、多様性社会にはフィットしない。

今後、日本社会はどうあるべきかという全体設計のなかに、象徴天皇制の議論は落とし込んでいくべきだ。

追記:この国に天皇がいるということは、ふだんの僕らの暮らしにはあまり関係がなさそうに思えたりするかもしれないけど、そんなことは全くなくて、むしろ、僕らの暮らしや考え方に直結した、とても大事な問題だと考えている。僕らの楽観的な他律的思考(=なんとかなるよ)は、とどのつまり、天皇を頂点に整えられた明治以後の日本社会の体制そのものに根ざしているのであって、ここが根本的に変えられないかぎり、僕らは本当に自律的な存在になることも、多様性を獲得することもできないから、世界の潮流からどんどん脱落していくしか、ない。

「なんとかなる」の国ニッポン

日本人の国民性、というか、日本人集団の伝統的特性として、「なんとかする」ではなく、「なんとかなる」という基本方針(?)があるように思う。

自律的に考え、行動して、問題を「なんとかする」のではなく、他律的、つまり、他人任せで、問題があっても「なんとかなる」と考える。

問題はどんどん先送りされる。自分に何か責任があるとは思わない。

楽天的で、無責任。喉元過ぎれば何とやら。

何かというとリーダーの責任を問うたりするんだけど、リーダーも同じ穴のムジナで無責任、先送りが基本体質なのでリーダーをすげかえただけでとりあえず本題の本質を問うことはしない。誰それが悪いんだと叫べば溜飲が下げるのでとりあえずおしまい。

…と書いてて気付いた。「とりあえず」に次ぐ「とりあえず」。

多様化した社会を統合する象徴とは。

日本国憲法の第一章第一条。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 今後、日本社会の多様化(ダイバーシティ化)は、間違いなく進む。個々人の考え方、価値観も多様化していく。

画一的だった昭和時代、日本国民の「統合」に意味はあったのかもしれないが、では平成時代はどうだったか。そして、平成のあとはどうなるか。多様化した社会を統合する象徴としての天皇とは、どんな姿なのか。

ポテンシャル無駄遣いの国ニッポン

さまざまな分野において、日本人のポテンシャルは、諸外国と比べても決して見劣りするものではない、はずだ。

そのポテンシャルが充分に発揮できない社会構造に問題がある。

成果をあげるよりも、所属集団の長(多くの場合は年長者)を満足させることに無駄な努力が消費されるという問題。

「長」は、ポテンシャルを吸い込むブラックホールのような存在。

この無意味な奉仕構造を廃止するだけで、この国のパフォーマンスは、ずっと良くなるはずだ。

ぼーっとすることが、日本社会を良くする(仮説)

近現代の日本社会は、他律性・受動性を基本に成り立っている。「頑張る」に象徴される、不断の努力を求められるが、何をどう頑張るかについての自律性・能動性は求められない。むしろ、所属する社会や集団、とりわけ、「上の者」の言うことに、無批判に従うことが、良しとされている。

余計なことを考えるな、俺の言う通りにしていればいい。

という、先生やら監督やら上司やらに従順に従うことが、この社会で評価される「頑張り」であった。

「頑張る」とは、「考えない」ことでもあった。

その連鎖が、日本社会を綿々と動かしてきた。

なにか問題が生じても、自力で解決するのではなく、見て見ぬふりをして、問題を先送りにすることが、日本社会の多くの集団のなかで、ごく普通に行われてきたことは、この社会で暮らす日本人のおそらく全員が知っていることだと思う。

このシステムは、近現代の日本において、ほんの一瞬だけ、有効に作用した。1970年代を中心とする、高度経済成長末期からの、日本経済が最強だった時代だ。

バブルがはじけて以後、その有効性は失われた。一様性は脆い。

自主的思考が不十分だった日本人は、太平洋戦争で死の一歩手前まで追いつめられた」わけですが、自主的思考が不十分だった時代は、戦後も続きました。「奇跡」と自画自賛した高度経済成長という成功神話が、それを支えたのです。

そして今でも、自主的思考を阻む価値観が、この日本社会には蔓延しています。

これからを生き延びていくためには、自主的思考が必要です。

そのためには、「ぼーっとすること」が、何よりも大事なのではないかと思います。

ぼーっとしていると、いろんな思考があちこちから去来してきます。無思考のようでいて、じつは脳はいろんなことを考えています。他からの入力データに頼らず、自分の脳にあるデータだけで、さまざまなことを考え、判断しています。こうして、自主的思考が行われるのではないかと思います。

そう考えていくと、いわゆる「引きこもり」には、この社会を変えていく潜在力があるのではないかと思います。

ただ、引きこもってネット社会にハマっているのであれば、それは他律性・受動性の渦のなかでもみくちゃにされていることになるので、逆に日本社会の悪しき典型みたいな姿になってしまうリスクもあります。

ネット社会から距離を置いて、ぼーっとしてみませんか。

 

追記。朝日新聞2019.1.11朝刊p15「異論のススメ」佐伯啓思氏の「平成の30年を振り返る~失敗重ねた「改革狂の時代」」抜粋以下。

元号が昭和から平成に替わったこと、私は在外研究で英国に滞在していた。日本経済はまだ「向かうところ敵なし」の状態で、英国経済の再生の実感はなく、サッチャー首相の評判はすこぶる悪かった。〔略〕日本人の研究者やビジネスマンたちが集うとよく日英比較論になった。ほとんどのビジネスマンは、日本経済の磐石さを強調し、この世界史の大混乱のなかで、経済は日本の一人勝ちになるといっていた。だが私はかなり違う感想をもっていた。日本経済がほとんど一人勝ちに見え、日本人がさして根拠のない自信過剰になる、そのことこそが日本を凋落させる、と思っていた。〔略〕確かに、英国経済の非効率は生活の不便さからも十分に実感できた。しかし、その不便さを楽しむかのように、平穏な日常生活や、ささやかな社交の時間を守ろうとするこの国の人の忍耐強い習慣や自信に、私は強い印象を受けていた。〔略〕私には、仲間が集まっても、ほとんど狭い専門研究の話か仕事の話しかしない日本の研究者やビジネスマンよりも、この世界史的な大変化の時代にあって、英国はどういう役割を果たすのか、といったことがらに、それなりの意見をもっている英国の「ふつう」の人々に、何かこの国の目には見えない底力のようなものを感じていたのである。〔以下略〕

ぼくら日本人には、リアルな歴史軸に基づくアイデンティティが欠落してるのだ、たぶん。