うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

敗戦文化

googleで「敗戦文化」を検索したところ、試験運用中の生成AIが以下のような「AI による概要」を表示してきた。

敗戦文化とは、太平洋戦争の敗戦が日本人の記憶に深く刻まれていることを背景に、自国への不信感や国民としての自己不信が原点となっている傾向を指します。
敗戦文化に関する特徴としては、次のようなものがあります。
・日本人は何か大きな災厄があると「第二の敗戦」という表現をしばしば用いる。
・敗戦の記憶は、史実に照らして見直されることなく共存している。
・家族内では、調和が最優先される語りが主観的に選び取られる。
・高校の歴史教科書・歴史漫画の分析からは、なぜ若い世代が自国に自信をもてないか、その理由が見えてくる。
・メディアは、記憶に政治色をつけながら、それぞれ違う物語を映し出す。
 
敗戦は、日本人の記憶に深く刻まれているため、自国への不信感や国民としての自己不信の原点となっています。こうした傾向は、敗戦とは実質的に無関係な、戦争の責任をとりようもない若者世代に重くのしかかっています。

…大変興味深い回答だ。

 
 

初代宮内庁長官に田島道治が就いた意義

共著『「昭和天皇拝謁記」を読む─象徴天皇制への道』で私は、

「拝謁記」は田島自身が手帳に記した表現ですが、読み進めていくと、あたかも「諫言記」のような内容であることがわかります。(257頁)

と書きました。田島道治長官は昭和天皇の過ちを正し続けたのですが、それに関し、知人に送ったメールをベースに以下。

はたして戦時中、大元帥でもあった昭和天皇にこうした態度で接した側近や大臣、陸海軍トップ(参謀総長軍令部総長)はいたのでしょうか。

私は、いなかったのではないかと思っています。

侍従長だった百武三郎や侍従武官だった坪島文雄など公開された側近の日記を見ても、田島のように誰かが昭和天皇に対し諫言を繰り返している記述は見受けられませんでした(どなたかもしご存じだったらご教授ください)。

たとえば昭和19年6月に日本軍がサイパン島を断念した際。たしか蓮沼蕃侍従武官長が昭和天皇の内意を受け、内大臣木戸幸一の承諾をとった上で元帥会議を開催したのですが、あのとき誰かが昭和天皇に「もう諦めてください、日本の敗けです」と諫言して昭和天皇が継戦を断念していたら、その後の歴史は大きく変わったと思うのです(山田朗先生は『近代日本軍事力の研究』で、これ以降の戦闘を「戦争の勝敗が決したあとの戦いであり、米軍にとっては残敵掃討戦」と指摘しています)。でもそんな人はいませんでした。軍事上の重要拠点だったサイパン島を諦めきれなかった昭和天皇の心情は理解できなくもないのですが。

あの6月25日の元帥会議で伏見宮元帥が「なにか特殊の兵器を考え、これを用いて戦争をしなければならない」と語っています。これがその後の特攻作戦への起点とも考えられることもあり、私はこの元帥会議の開催自体が問題だったと思っています。

そう考えると田島のブレない諫言ぶりは見事としか言いようがありません。とりわけ昭和天皇の政治介入、改憲再軍備への言及を徹底的に封じたことは、戦後日本の進路にも大きな影響を与えたのではないでしょうか。

また、そこまで言われても最後まで昭和天皇が田島を信頼し続けたことからは、昭和天皇は実は田島のような側近をずっと求めていたのではないか、そんな側近を得られなかったことが昭和天皇の不幸と孤独、そして日本の敗戦と多くの犠牲につながったのではないかとも思ったりします。

初代宮内庁長官田島道治が就いた意義は、もっと語られてもいいような気がしています。

「ネット騒然」で考えたこと

さっきweb広告に「ネット騒然」というフレーズを見つけて思ったこと。かつての人間社会は家と町や村、あるいはその周辺という狭いエリアでの情報だけを(ほぼ)処理していれば良かったが、今はバーチャルエリアが拡大し、世界中からさまざまな情報が降ってくる。ニュースの大半は戦争やら災害やらのメンタルに悪いニュースばかりで、ひとつは僕らはかつてよりもメンタル的にヘビーな日々を送っているから健全さを取り戻すにはニュースから距離を置いたほうが良いし、報道側も自分たちがやっていること(正義感を振りかざして熱心に報道するほど僕らは壊れていく)をもっと自覚したほうがいい。もうひとつは、膨大な情報処理を求められる僕ら受け手側はこの「ネット騒然」に見られる末梢神経反応的な情報処理は1つ1つがあまりに些末で無意味な行為なので、もうそういうことから距離を置いたほうが心穏やかで生産的で有意義な暮らしが過ごせるのではないかということ。

航空機ペット問題と日本社会

航空機ペット問題についての所見を整理しておく。複数の芸能人らに対しだいぶ感情的な批判コメントが殺到しているようだが(詳細に読んだわけではない)、何故そうした騒動となるかについて。

すでに、

変わることへの拒否感か。変わらないこと、日々の暮らしや考え方を変えず維持することを第一とする価値観か。それも大事だけど、ガラパゴス化の根幹思想。伝統重視の日本社会だからか。[link]

と書き、続けて、

日本社会では革命は起きない。良くも悪くも。何かをしようとすると叩かれる一方、伝統を守り続ける姿は称賛される社会。何に起因するのか。未熟な市民社会とか、そんなんじゃないはずだ。[link]

と書いた。

「変わらない」至上主義の日本社会では、今日も明日も「昨日と同じ僕」でいいので、自己肯定感が強い社会と言えるはずだが、現実の日本社会はむしろ自己肯定感を消耗する社会となっている気がする。

たとえばそれは、自己肯定感を前提にした長時間労働などの無茶ぶりが横行しているからではないか、とか。

では一体そのルーツは日本の歴史のどこにどう起因しているか、とか。

なお、元の航空機ペット問題については既に、

この問題、動物虐待などについての世界的な潮流を考えると、ペットを荷物として扱うこともペットを避難させないことも、いずれアウトになるのでは。また本来そうあるべきでは。[link]

と書いた。

平和は「安定した豊かさ」がもたらす。

平和はもちろん尊いものだが、ただ平和、平和と言っていれば平和が保てるわけではないということを終戦記念日の今日書いておく。

 

戦争を起こさないためには、安定した豊かさが必要だ。それも自国のみならず、理想的には世界中に。

 

かつての日本が(結果的にしろ、意図的にしろ)戦争への道へと進んだのは、ひとつには貧しかったからだ。日本陸軍が暴走して戦争を起こしたわけではない。それを支持する、多くの貧しい国民がいたからだ。

 

もうひとつは、日本社会が不安定だったからだ。江戸時代それなりに安定していた日本社会は、明治維新以降は激動した。不安定な社会は人々を不安にさせる。

 

いまの日本社会はどうだろう。そこそこ安定した豊かさと言えるだろうか。僕はそうは思わない。下手をするとまた戦争へと転げ落ちるリスクを抱えているのではないだろうか。

(仮説)先の大戦は日本人にとって「豊かさを目指した戦争」だった。

タイトルどおりなんだけど。当時多くの一般国民は貧しく、より物質的豊かさを求めたことが戦争への根本的原動力となった、のではなかったか。となると、戦後の農地改革から高度経済成長へと至る道はまさしくその延長にあり、物質的豊かさは獲得できた。が、それで日本人は幸せになったのだろうか。戦時期からの他律盲従的価値観が続くうちは本当の豊かさに辿り着けないのではないか。