うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

なぜ一枚岩が好きか。それは僕らが実はバラバラだから。

昨日、電車に乗って都心に出たら、車内が静まり返っていることに驚いた。

去年クリスマスの日、僕は、

久しぶりに電車でイヤホン、音楽聴いてる。コロナ以来、人のおしゃべりが消えたので聴く必要なかったのですが、最近しゃべる人が増えた。[link]

と書いたが、わずか10日ほどで民心が一変した。緊急事態宣言のニュースが人々の意識を変えたのだろう。

「コロナ疲れ」という表現があるが、実態にそぐわないと僕は思う。人々は疲れているのではなくて飽きている。特高月報を読むと、太平洋戦争時の人々の労働意欲が緒戦の3ヶ月しかもたなかったことがわかる。僕らは本来、とても飽きっぽくて粘り弱い。今回も、僕らが飽きない1~2ヵ月の間にどれだけ実効性の高い対策で感染者数を大きく減少させられるかが重要になってくると思うが、ここでそんなことを書いても仕方がない。

こういうとき、よく言われるのが「みんなで一丸となってがんばろう」といった一枚岩的提言だ。東日本大震災のときもしきりに言われた記憶がある。

でも勘違いしないほうがいい。僕らは決して一枚岩などではない。むしろ個々人がバラバラになっているのが日本社会の特徴だと僕は思っている。それはこの国も明治以来の近代化の歴史が大きく関係している。

コロナ対策も、人々がバラバラな状態をデフォルトととらえて考えたほうがいい。バラバラだから、すぐに崩れる。あるいは流される。人々の心に届く強いメッセージがあれば、民心はがらりと動くように思うんだが、問題は政府、首相にメッセージを出す能力がないことだなあ。

やっぱりコロナは人災だ。