うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

相対化する「正義」

かつては「正義」がひとつだった時代があったかもしれない、と考えてみると、それはおそらく、昭和時代だったのではと思う。昭和初期に「日本精神」なる理想が掲げられてから、日本社会は「正しいこと」に塗りつぶされていった。昭和20年の敗戦後も、年長者が正しいことを教え諭すという構図は維持された。

子どもたちが大好きなヒーローものが勧善懲悪パターン一色だった時代までは、「正義」はひとつだったのだろう。すると、「正義」が多様化・相対化していったのは平成に入って以降だと思う。いまでは「ただひとつの正義」なんてリアリティがない。

と、思うのだけど、でも実社会では「正義はひとつ」という思い込みが根強いらしい。「間違った正義」があるとして、それを別の「正義」でばっさり切り捨てるのは容易ではあるけれども、根本的な解決にはならない。「間違った正義」側も自らの「正義」を絶対視しているのは同じなので、溝は溝のまま。

「正義」が相対化していることに気づかない人々はもしかしたらある意味で幸せで、「非常事態」が飛び交うこの世界で、自らが信じる「絶対的正義」にもとづいて行動する。まあ、戦時中の「軍国おばさん」のようで、いい迷惑だけど。