うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

日本社会の根幹思想と、エネルギー無駄食い社会

どんな業界でもそうかもだが、放送局にはエリート部署と雑草部署がある。一般論だがエリート部署の人たちが書く本には、かなりの割合で共通する特徴がある。取材・制作のプロセスをやたらと書きたがることだ。そこで著者たちは懸命な取材をし、真摯に悩み抜き、真実の答えを探り当てる。要は「渾身の取材記」的なものを書きたがる。

渾身の取材記なんてダサいと僕は思う。苦労してる姿を人に見せるなんて、みっともない。だがエリートの方々は違うようで、苦労してる姿を人に積極的に見せることで評価されたいらしい。

彼らが探り当てたいのは、真実の答えなんかじゃなく、上司の評価であり、組織(部署)内での保身や出世だ。子どもの頃、お母さんに「よくがんばったね」と言われたように、学校の先生に「よくがんばりました」と言われたように、彼らは常に、「上」に評価されることを唯一無二のモチベーションにしている。

これが、現代日本社会の根幹思想だ。学校教育から会社組織にまで一貫して見られる、「上に評価されることを至上とする考え方」だ。「がんばる」は、その評価の指標だ。忖度も同調も、すべてが「上」を見て行なわれる。

行なわれるあらゆる努力は、結果のためではなく、自身の評価のために行なわれる。「渾身の取材記」の取材対象は、そのために利用されるアイテムに過ぎない。私物化といってもいい。

社会全体のエネルギーのうち、かなりの部分がこうした「自己評価向上プロセス」のために浪費される社会とは、アイスバーンを空転するクルマのようなものだ。エンジンを全力にしても、ちっとも前に進まない。その空転部分は、ただ上だけを見る人たちによって、無駄に食われてしまっているのだ。