うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

頑張ることに重きを置く価値観が見落としているもの。

メダカの世話とか、庭木の手入れとか、頑張ればどうなるものでもない。毎日の、ちょっとしたことの積み重ね。部屋のテーブルヤシは、毎日、薄い液肥を霧吹きでかけて、10年かけて、ずいぶんと立派に育った。

ぼくらが生きていくうえで本当に大切なものは、「頑張りエリア」の外にあるはずだ。

以下追記。

逃げるは恥だが役に立つ」がハンガリーのことわざだということはよく知られている。ハンガリーはヨーロッパの小国のひとつだが、調べずに勝手に思うには、このことわざには、小国で生きる人たちの、生きる術がこめられているように思う。だって、小国で頑張ってたら、生きていけないもん。生きのびるには時には逃げないと。

と考えると、「頑張れば報われる」という考え方は、一種のファンタジーというか、理想郷でしか実現ありえない。現実社会に、そんな法則は通用しない。ということは、これは嘘だ。建前だ。

この建前は、現代日本社会の建前と、実に密着にリンクしているように思われる。おそらくそれは、「僕らは変わらなくていい、このままでいい」という、現状維持信奉とも言うべき思想だ。その思想は、戦後占領期日本ではじめられた全国巡幸あたりに端を発するのではないかと、これまた勝手に考えている。

もうそんな時代じゃないんだけどなあ。いいかげん現実に真摯に目を向けないと、ほんとにお先真っ暗な国だと思うんだけどなあ。

あ、話を戻して、野生の生き物が頑張ってる姿を想像してみる。…いや、そんな生き物は、この世にはいない。頑張ってる姿を誰かに見せたからって、どうもならんじゃん。でも彼らは、それぞれに懸命に生きて、命をまっとうしていく。季節が晩秋に向かうこの頃は、庭の虫たちが、あちらこちらで息絶えている姿を見る。頑張って生きてなどはいないが、サボって生きてる虫もいない。命のかぎり、生きている。ぼくら人間も彼らのように、日々を生きればいいじゃん、って思う。