うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

「硬教育」は何故戦後まもなく復活したか。

昭和22年に創刊され、現在も刊行が続いている月刊教育誌「児童心理」。昭和24年6月号の特集は「訓育の問題」。編集後記(p80)には、「「訓育」という問題について、立入って考えるべき時機に来ていると思う。本誌が、それを特集としたゆえんである」とある。

霜田静志「硬教育か軟教育か」(p11)を一部抜粋。

「硬教育とはきわめて古くから行われて来た教育形式であって、それは権威をもって児童に臨む教育であり、権威に服従せしむることによって教育は成立すると考えるものである。この立場から教權の尊厳は強調せられ、訓練は重要視せられ、服従の美徳はたたえられる。そこで訓戒、叱責、懲罰は、教育の手段として重要なるものとなるのである。〔略〕硬教育というと、だれしもすぐにスパルタの軍国主義教育を連想するが、スパルタの如きは国家の主義、政策のうえから、これを強力に実施せられた特例と見られるのであるが、教育に対する同じような考え方は、すでにそれ以前からあった伝統的な考え方であったと思われる」

「日本において今日に至ってもなお、教育の名をかりて児童生徒のうえに暴力を振う教師のしばしば見られるのと同様である」

「個性の伸長、自由、創造を主張する新教育は、教權を固執する形式的な硬化した旧教育に取って代り、華々しい姿を示すに至った」

「道徳的戒律を掲げて、これによって教育しようとする立場は、捨てられなければならぬ。この意味からいって教育勅語を日本の教育から退陣せしめたことは、まことに喜ぶべきことであった。すなわちそれは戒律によって教育しようとする古い考を捨てることであった。教育勅語を引っこめても、これに代って新たなる道徳的戒律を作るようなことであったなら、何にもならぬことである。必要なのは戒律を新しくすることではなくて、戒律を捨てることである。これが新しい教育の立場であることを忘れてはならない。同様の意味において、教師の權威も捨て去らねばならぬ。したがって叱責、懲罰も当然これを必要としなくなって来る。新しき道徳は決して權威に服従することによって守られるのでなしに、相互尊敬によって守られるものだからである。新しき道徳は自由平等を基調とする。学校生活においても、決して階級的差別を認めない。真に民主的な学校であったなら、教師が上の階級であり、生徒が下の階級であるというような対立は認められない。生徒だから教師に敬礼しなければならぬ。服従しなければならぬということはない。敬礼も服従も相互的でなければならぬ。〔略〕{授業開始の「起立、礼、着席」について}教師が子供と一しょに頭を下げるのであって初めて平等の立場のあいさつであるといえる」

「道徳の權威を捨てよ、教師の權威を捨てよ、そこに新しき教育ははじまる」

「硬教育は權威に服従せしむる教育であり、軍国主義時代の遺物である。民主主義平和国家の建設を目ざすわが日本の取るべき道は、断じてそのようなものではない。仮装せるこの種古教育の出現に対して、われわれは充分警戒しなければならぬ」

 この時点、戦後4年の段階で、すでに新教育批判、スパルタ式回帰要望が出ていたことが、この特集記事を読むとわかる。

戦後日本は「民主主義平和国家の建設を目ざ」したわけで、その理念に照らせば、「硬教育」が復活する余地はないはずなのだが、実際にはそれは復活し、いまだにその考え方が日本社会の隅々にまで根づいていることは、この国に住んでいる者なら誰でも知っているはずだ。

そしてこれこそが、いまの日本の元凶ともいえるものだと思うのだが、問題は、なぜこうした考え方が、戦後まもなく復活し、その後長くこの国を支配し続けたのかだ。