うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

小国になり損ねた日本(仮)

日本は「偉大なる“愚民”国家」として繁栄してきたと思っている、と、小説家の真山仁氏は言う。
「それは愚かな国民という意味ではない。国家のかじ取りはおかみに任せて、ひたすら真面目に働き、“愚直”に生きる──。このような社会の成り立ちは、世界でもまれに見る一体感と成長を生んだ」(2019年4月4日朝日新聞p11)

その愚直な生き方は、おそらく、日本人の生来のものだ。
僕らは、「なんとかする」ではなく「なんとかなる」と思う。自力で未来をこじ開けるような強さはないけど、あるがままの宿命を黙って受け入れる弱さがある。いや、それが僕らの強さというべきか。
災害があっても、ずっと立ち尽くして泣いてたりなんかは、しない。黙々とガレキを片付けて、暮らしを再開する。明治期の外国人の手記に、そんなのがどっかに書いてあった。

明治期の国家設計は、西欧列強に早く追いつけ追いこせを目指した。
天皇を頂点とする、一糸乱れぬ一体感ある国家で、富国強兵を急いだ。国民がみな同じ方向を向き、同じ考えをもって邁進することが求められた。国民ひとりひとりの自主的思考は疎んぜられた。
全体のより良い暮らしのために、個の幸せの追求は、邪魔だった。
僕らは、考えるのをやめ、おかみ頼みの人生を送るようになった。言い換えれば、自分の人生を他人任せにしたのだ。
大国になるために。

1945年の敗戦で、日本は小国になった。いや正確にいえば、この時点で独立国家ではなくなった。1952年の再独立で、日本は小国としてスタートを切った。だが、国際情勢で、つまり端的にいえばアメリカの都合で、日本は小国として存在し続けるのを許されなかった。もしもここで小国になれていたら、僕らは自主的思考を獲得できたのかもしれないが、その機会はアメリカに奪われた。

高度経済成長は、独立からわずか3年後の1955年から1973年までの間だ。そして日本が「経済大国」という「大国」の座にのぼりつめたのは、1970年頃のことだ。明治以来の念願だった大国。自主的思考を置き去りにした代償として、「愚民」が手に入れた「大国」。

しかし、上り坂はここで終わりだった。
自主的思考を外部委託するような「怠け者」が、未来永劫、いい思いをするなんて、そんなズルい話があるものか。
…という先に、いまの日本があり、僕ら日本人がいる。

(大筋を仮に立ててみた)

以下追記。

「その日は必ず来る」だとか「頑張れば夢叶う」だとか、夢物語じゃあるまいし、大の大人がそんなことを言うこと自体、自主的思考の外部委託であり、思考停止の極みである。現実には、「思い通りにはいかないのが人生」ってもんじゃねーか。僕らはだから、「逃げ恥」の教えのように、小国のような柔軟な戦略をもって、生き抜いていくべきなのだ。外部委託する「幻想の大日本」はもう存在しないのだから。「一億火の玉となって」戦ったと思えた、戦時中~高度成長期はもう過去の遺物なのだから。