うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

「狂気の軍部」というフタ

いまだに、太平洋戦争時の日本の軍部を「狂気」というワードで説明する向きがあって、げんなりする。

それは「フタ」なんだ。自分たちが向き合うべき現実に「フタ」をしているんだ。それが「狂気の軍部」というフタなんだ。

そのフタをあけない限り、日本の戦後は終わらないし、どうせまた同じ状況に陥ったら、同じことするよ。で、また「狂気」ってワードでフタをするんだろうな。懲りないなあ。

デフォルト化する日本

昨日の「無責任な勤勉さ(天皇の国)」の続き。

さいきん、車で道を走っていると、怠惰な運転をする人がやけに多い気がする。代表的なのはショートカット。「だろう運転」の代表格。交通事故が減ったこと、高齢者ドライバーが増えたことなどとの関連はわからないが、路上が怠惰な平和さに溢れてきた。昨日と同じ今日、今日と同じ明日がやってくるに違いないと、根拠なく確信しているような、思考停止な路上。

全国どこにでも見られる駅前商店街の衰退は、無責任な勤勉さの成れの果ての典型例のように思う。商店街の構成員たちはみな朝から晩まで勤勉に働いてきたのだろう。がんばって働いてさえいれば幸せになると信じて。そう、信じて。でも時代は変わる。変わる時代に適応しようとしない。変わるのは自主的思考が必要だ。誰かがなんとかしてくれる的な勤勉さでは適応できない。で、放置されたまま年月が過ぎる。放置プレイがデフォルト化していくと、年々少しづつひどい状態になっていく。初めてそこに訪れた人はその有様に唖然とする。なんだこのゴーストタウンは。

焼け野原から今年で75年。少しづつ劣化していくこの国がデフォルト化していく。

無責任な勤勉さ(天皇の国)

無責任な勤勉さ、について最近考えている。

勤勉なんだけど無責任。それは、戦時中の多くの日本国民に言えることではないかと思う。

戦後の代表的な言説に「軍部や特高が怖くて何も言えなかった」というのがある。でも本間報告書なんかを読むと、そうは思えない。むしろ、(特高は知らんが)政府や軍は国民におもねっていたような印象すらある。ミッドウェー敗戦を隠したのも、それまで「勝った勝った」で国民を喜ばせておいて、いまさら負けましたとは言えない雰囲気というか、国民の反発が怖かったんじゃないかと。だって、海軍は開戦前、「海の守り堅し」とか何とかホラ吹いてたがゆえに今更アメリカと戦争できないとは言えないってことだったしさ。町のいたるところには軍国おじさん、軍国おばさんがいてさ。

そうじゃない国民もいた。

某高級軍人が当時一高を訪ねた時、「ゾル帰れ」の落書きがあったという話を聞いた。「ゾル」とは当時の高校生が軍人を指す蔑称だった。また、私が偶然浦和高校生が応召学生を送る集会を上野駅前で見たが、軍人が見たら立腹しそうな「大いなる自由を愛せ」の大のぼりが立っていた。(小川再治『孤高異端』p93)

「大いなる自由を愛せ」は、大切なことだ。国民から自由を剥奪しといて、何が大日本だ、というような、健全な言説を奪ったのは、政府でも軍部でもなく、国民みずからだったのではないか。

敗色濃厚なことは充分承知のうえで軍需工場で勤勉に働いて、誰かが何とかしてくれると思考を停止する無責任さ。その無責任体系の一番上には天皇がいる。「誰かが」は下から順に上に送られ、それ以上上に行けないところに天皇がいる。

この「無責任な勤勉さ」は戦後日本、現代日本にも継承された、と僕は思っている。敗戦をきちんと反省せずにここまで来てしまったからだ。

猫は、がんばらない。

猫は、いつも一生懸命に生きている。その一心不乱な姿がかわいかったりする。人間の3歳児程度の知能があるとも聞いたことがあるが、まさに3歳児的な一心不乱さだ。

一生懸命だが、「頑張り」はしない。その違いは決定的だ。

「頑張りを見せる」という。あるいは、「頑張っていれば、きっと誰かが見てくれている」的な言説がある。「誰か」とは、親とは教師とか上司とかの「上の誰か」であって、弟とか後輩とか部下とかの「下の誰か」ではない。

その「頑張り」は、見せかけだ。

いっぽう猫は、見せかけの努力などはしない。もっと本質的に生きている。猫ばかりか、人間以外のあらゆる動物は、見せかけの努力などはしない(社会を構成する猿とかはもしかしたら別かもしらんが)。

猫を見習って、ぼくらも、見せかけの努力なんか、やめちゃおう。

統制社会と「がんばる」

日本社会の統制が進んだのは昭和初期以降で、同時に天皇の神格化と「がんばる」の浸透が進んだ。

西洋社会に対抗する日本的な価値観として、天皇を頂点とした統制社会が推奨され、そこでの個々は「がんばる」ことがデフォルトの美徳となった。

民主主義よりも全体主義に親和性が高いものだが、当時は全体主義というよりも、あくまで日本的なあり方が求められた。日本主義的思想というべきか。

日中戦争の泥沼化から太平洋戦争にかけてこの思想は強化され、それに感化された若者たちが戦後高度経済成長下の主役となり、ここに日本的統制、「がんばる」社会の完成をみた。

…と、歴史的な流れを俯瞰してみた。現段階ではあくまで仮説だけど。

今後の日本社会が求められるのは、この統制社会からの解脱。

日本社会の根幹思想と、エネルギー無駄食い社会

どんな業界でもそうかもだが、放送局にはエリート部署と雑草部署がある。一般論だがエリート部署の人たちが書く本には、かなりの割合で共通する特徴がある。取材・制作のプロセスをやたらと書きたがることだ。そこで著者たちは懸命な取材をし、真摯に悩み抜き、真実の答えを探り当てる。要は「渾身の取材記」的なものを書きたがる。

渾身の取材記なんてダサいと僕は思う。苦労してる姿を人に見せるなんて、みっともない。だがエリートの方々は違うようで、苦労してる姿を人に積極的に見せることで評価されたいらしい。

彼らが探り当てたいのは、真実の答えなんかじゃなく、上司の評価であり、組織(部署)内での保身や出世だ。子どもの頃、お母さんに「よくがんばったね」と言われたように、学校の先生に「よくがんばりました」と言われたように、彼らは常に、「上」に評価されることを唯一無二のモチベーションにしている。

これが、現代日本社会の根幹思想だ。学校教育から会社組織にまで一貫して見られる、「上に評価されることを至上とする考え方」だ。「がんばる」は、その評価の指標だ。忖度も同調も、すべてが「上」を見て行なわれる。

行なわれるあらゆる努力は、結果のためではなく、自身の評価のために行なわれる。「渾身の取材記」の取材対象は、そのために利用されるアイテムに過ぎない。私物化といってもいい。

社会全体のエネルギーのうち、かなりの部分がこうした「自己評価向上プロセス」のために浪費される社会とは、アイスバーンを空転するクルマのようなものだ。エンジンを全力にしても、ちっとも前に進まない。その空転部分は、ただ上だけを見る人たちによって、無駄に食われてしまっているのだ。

「私、失敗しないので」は失敗の歴史からか。

 米倉涼子主演のドラマ「ドクターX~外科医・大門未知子~」の決めゼリフ「私、失敗しないので」について考えている。なぜ視聴者は、人々は、「私、失敗しないので」に喝采を送るのか。

「ドクターX」は、タイトルからも、そして、ナレーションに田口トモロヲを起用している点からも、NHKがかつてやってた「プロジェクトX」のパクリドラマだ。「オマージュ」って言うかもしれないけど、まあどっちだっていいや。

プロジェクトX」は、戦後日本をつくりあげた名も無き人々、が主人公のドキュメンタリー番組で、定番的展開としては、失敗につぐ失敗→最後は成功で感動のエンディングって感じ。戦後日本を、名も無き人々の努力の積み重ねの上に成功をおさめた国と定義している。この定義は、多くの日本人とくに高度経済成長は自分の手柄だと考える現在の高齢者層の歴史観・国家観とも合致して心地が良いので、少なくともかつては多くの日本人に信じられていた。…という「X的価値観」が「私、失敗しないので」のベースにあるとみている。

「私、失敗しないので」という宣言は、通常の感覚であれば、怪しい。失敗しない人間など、この世に存在しないから、フィクションにしかすぎない。ドラマだからフィクションでいいんだけど、しかし、何がしかのリアリティがある。

それは、このドラマに喝采を送る人々の意識に、「失敗の歴史」が根強くあるからではないか。

失敗の歴史。それは、昭和20年の敗戦。日本は空襲で都市を焼け野原にされ、沖縄を蹂躙され、原爆を落とされ、ソ連に参戦され、ボロ負けの状態で降伏した。その後昭和27年まで、占領され、独立を奪われていた。

だからこそ、「失敗しない」大門未知子というフィクションに喝采を送るのではないか。

とすると、この国はいまなお、「戦後」を生きているのだ。