うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

猫は、がんばらない。

猫は、いつも一生懸命に生きている。その一心不乱な姿がかわいかったりする。人間の3歳児程度の知能があるとも聞いたことがあるが、まさに3歳児的な一心不乱さだ。

一生懸命だが、「頑張り」はしない。その違いは決定的だ。

「頑張りを見せる」という。あるいは、「頑張っていれば、きっと誰かが見てくれている」的な言説がある。「誰か」とは、親とは教師とか上司とかの「上の誰か」であって、弟とか後輩とか部下とかの「下の誰か」ではない。

その「頑張り」は、見せかけだ。

いっぽう猫は、見せかけの努力などはしない。もっと本質的に生きている。猫ばかりか、人間以外のあらゆる動物は、見せかけの努力などはしない(社会を構成する猿とかはもしかしたら別かもしらんが)。

猫を見習って、ぼくらも、見せかけの努力なんか、やめちゃおう。

統制社会と「がんばる」

日本社会の統制が進んだのは昭和初期以降で、同時に天皇の神格化と「がんばる」の浸透が進んだ。

西洋社会に対抗する日本的な価値観として、天皇を頂点とした統制社会が推奨され、そこでの個々は「がんばる」ことがデフォルトの美徳となった。

民主主義よりも全体主義に親和性が高いものだが、当時は全体主義というよりも、あくまで日本的なあり方が求められた。日本主義的思想というべきか。

日中戦争の泥沼化から太平洋戦争にかけてこの思想は強化され、それに感化された若者たちが戦後高度経済成長下の主役となり、ここに日本的統制、「がんばる」社会の完成をみた。

…と、歴史的な流れを俯瞰してみた。現段階ではあくまで仮説だけど。

今後の日本社会が求められるのは、この統制社会からの解脱。

日本社会の根幹思想と、エネルギー無駄食い社会

どんな業界でもそうかもだが、放送局にはエリート部署と雑草部署がある。一般論だがエリート部署の人たちが書く本には、かなりの割合で共通する特徴がある。取材・制作のプロセスをやたらと書きたがることだ。そこで著者たちは懸命な取材をし、真摯に悩み抜き、真実の答えを探り当てる。要は「渾身の取材記」的なものを書きたがる。

渾身の取材記なんてダサいと僕は思う。苦労してる姿を人に見せるなんて、みっともない。だがエリートの方々は違うようで、苦労してる姿を人に積極的に見せることで評価されたいらしい。

彼らが探り当てたいのは、真実の答えなんかじゃなく、上司の評価であり、組織(部署)内での保身や出世だ。子どもの頃、お母さんに「よくがんばったね」と言われたように、学校の先生に「よくがんばりました」と言われたように、彼らは常に、「上」に評価されることを唯一無二のモチベーションにしている。

これが、現代日本社会の根幹思想だ。学校教育から会社組織にまで一貫して見られる、「上に評価されることを至上とする考え方」だ。「がんばる」は、その評価の指標だ。忖度も同調も、すべてが「上」を見て行なわれる。

行なわれるあらゆる努力は、結果のためではなく、自身の評価のために行なわれる。「渾身の取材記」の取材対象は、そのために利用されるアイテムに過ぎない。私物化といってもいい。

社会全体のエネルギーのうち、かなりの部分がこうした「自己評価向上プロセス」のために浪費される社会とは、アイスバーンを空転するクルマのようなものだ。エンジンを全力にしても、ちっとも前に進まない。その空転部分は、ただ上だけを見る人たちによって、無駄に食われてしまっているのだ。

「私、失敗しないので」は失敗の歴史からか。

 米倉涼子主演のドラマ「ドクターX~外科医・大門未知子~」の決めゼリフ「私、失敗しないので」について考えている。なぜ視聴者は、人々は、「私、失敗しないので」に喝采を送るのか。

「ドクターX」は、タイトルからも、そして、ナレーションに田口トモロヲを起用している点からも、NHKがかつてやってた「プロジェクトX」のパクリドラマだ。「オマージュ」って言うかもしれないけど、まあどっちだっていいや。

プロジェクトX」は、戦後日本をつくりあげた名も無き人々、が主人公のドキュメンタリー番組で、定番的展開としては、失敗につぐ失敗→最後は成功で感動のエンディングって感じ。戦後日本を、名も無き人々の努力の積み重ねの上に成功をおさめた国と定義している。この定義は、多くの日本人とくに高度経済成長は自分の手柄だと考える現在の高齢者層の歴史観・国家観とも合致して心地が良いので、少なくともかつては多くの日本人に信じられていた。…という「X的価値観」が「私、失敗しないので」のベースにあるとみている。

「私、失敗しないので」という宣言は、通常の感覚であれば、怪しい。失敗しない人間など、この世に存在しないから、フィクションにしかすぎない。ドラマだからフィクションでいいんだけど、しかし、何がしかのリアリティがある。

それは、このドラマに喝采を送る人々の意識に、「失敗の歴史」が根強くあるからではないか。

失敗の歴史。それは、昭和20年の敗戦。日本は空襲で都市を焼け野原にされ、沖縄を蹂躙され、原爆を落とされ、ソ連に参戦され、ボロ負けの状態で降伏した。その後昭和27年まで、占領され、独立を奪われていた。

だからこそ、「失敗しない」大門未知子というフィクションに喝采を送るのではないか。

とすると、この国はいまなお、「戦後」を生きているのだ。

頑張ることに重きを置く価値観が見落としているもの。

メダカの世話とか、庭木の手入れとか、頑張ればどうなるものでもない。毎日の、ちょっとしたことの積み重ね。部屋のテーブルヤシは、毎日、薄い液肥を霧吹きでかけて、10年かけて、ずいぶんと立派に育った。

ぼくらが生きていくうえで本当に大切なものは、「頑張りエリア」の外にあるはずだ。

以下追記。

逃げるは恥だが役に立つ」がハンガリーのことわざだということはよく知られている。ハンガリーはヨーロッパの小国のひとつだが、調べずに勝手に思うには、このことわざには、小国で生きる人たちの、生きる術がこめられているように思う。だって、小国で頑張ってたら、生きていけないもん。生きのびるには時には逃げないと。

と考えると、「頑張れば報われる」という考え方は、一種のファンタジーというか、理想郷でしか実現ありえない。現実社会に、そんな法則は通用しない。ということは、これは嘘だ。建前だ。

この建前は、現代日本社会の建前と、実に密着にリンクしているように思われる。おそらくそれは、「僕らは変わらなくていい、このままでいい」という、現状維持信奉とも言うべき思想だ。その思想は、戦後占領期日本ではじめられた全国巡幸あたりに端を発するのではないかと、これまた勝手に考えている。

もうそんな時代じゃないんだけどなあ。いいかげん現実に真摯に目を向けないと、ほんとにお先真っ暗な国だと思うんだけどなあ。

あ、話を戻して、野生の生き物が頑張ってる姿を想像してみる。…いや、そんな生き物は、この世にはいない。頑張ってる姿を誰かに見せたからって、どうもならんじゃん。でも彼らは、それぞれに懸命に生きて、命をまっとうしていく。季節が晩秋に向かうこの頃は、庭の虫たちが、あちらこちらで息絶えている姿を見る。頑張って生きてなどはいないが、サボって生きてる虫もいない。命のかぎり、生きている。ぼくら人間も彼らのように、日々を生きればいいじゃん、って思う。

「最後まで諦めない」と、いつまで言い続ければいいのだろうか。

「最後まで諦めない」は、賞賛されるフレーズだ。多くの人は、このフレーズが賞賛されることに疑いを持っていないだろう。教育現場においても、こどもたちがこうした姿勢で勉学その他に取り組むことを勧めている。

かつて太平洋戦争において、日本は「最後まで諦めない」姿勢を貫き、そしてボロ負けした。戦場では、「最後まで諦めない」軍隊が玉砕した。銃後の市民生活は、空襲によって焼け跡になった。多くの犠牲者が出た。あのときの「最後まで諦めない」姿勢は、賞賛されるべきものではない。もっと早くに戦争を終わらせていれば、日本軍が、日本政府が白旗をあげていれば、空襲も沖縄戦も原爆投下もソ連参戦もなかったかもしれない。死者の数はこれらに集中しているから、となると、多くの命が助かったはずだ。「最後まで諦めない」ことによって、多くの命が失われた。

「最後まで諦めない」は、絶対的な美徳ではない。時と場合により美徳となる。なのにこの国では、やたらと「最後まで諦めない」を押しつけたがる。

思うのだが、それは、太平洋戦争末期に「最後まで諦めない」態度が招いた犠牲に、この国は、向き合いたくないのではないか。そして、「最後まで諦めない態度を戦後焼け野原以後もつらぬいたお蔭で日本は奇跡の高度経済成長を達成した」というサクセスストーリーに話を入れ替えて自己満足したいのではないか。

日本が戦後高度経済成長を達成したのは奇跡でも何でもないことはすでに歴史経済学では自明の理だし、人々が最後まで諦めずに奮闘したから高度経済成長が実現したわけでもない。いや、昭和20年のボロ負け→アメリカに都合のよい新日本再建、の先に吉田茂が進めた経済優先路線があり、それが結果的に高度経済成長につながったわけだから、ボロ負けが高度経済成長を生んだと言えなくはないから、最後まで諦めないことで「結果的に」豊かな社会を実現できた、とはいえるかもしれないが。

「最後まで諦めない姿勢を美徳とする日本社会の風潮」には、こうした欺瞞が潜んでいる。最後まで諦めなかったことで日本史上最大の犠牲と、日本史上唯一の敗戦(そして主権の喪失)という事態を招いたことを、この国はいまだに克服できていない。その意味で、「戦後」はいまだに続いている。

「最後まで諦めない至上主義」という膠着状態から解き放たれなければ、この国に進歩はない。未来もない。

「硬教育」は何故戦後まもなく復活したか。

昭和22年に創刊され、現在も刊行が続いている月刊教育誌「児童心理」。昭和24年6月号の特集は「訓育の問題」。編集後記(p80)には、「「訓育」という問題について、立入って考えるべき時機に来ていると思う。本誌が、それを特集としたゆえんである」とある。

霜田静志「硬教育か軟教育か」(p11)を一部抜粋。

「硬教育とはきわめて古くから行われて来た教育形式であって、それは権威をもって児童に臨む教育であり、権威に服従せしむることによって教育は成立すると考えるものである。この立場から教權の尊厳は強調せられ、訓練は重要視せられ、服従の美徳はたたえられる。そこで訓戒、叱責、懲罰は、教育の手段として重要なるものとなるのである。〔略〕硬教育というと、だれしもすぐにスパルタの軍国主義教育を連想するが、スパルタの如きは国家の主義、政策のうえから、これを強力に実施せられた特例と見られるのであるが、教育に対する同じような考え方は、すでにそれ以前からあった伝統的な考え方であったと思われる」

「日本において今日に至ってもなお、教育の名をかりて児童生徒のうえに暴力を振う教師のしばしば見られるのと同様である」

「個性の伸長、自由、創造を主張する新教育は、教權を固執する形式的な硬化した旧教育に取って代り、華々しい姿を示すに至った」

「道徳的戒律を掲げて、これによって教育しようとする立場は、捨てられなければならぬ。この意味からいって教育勅語を日本の教育から退陣せしめたことは、まことに喜ぶべきことであった。すなわちそれは戒律によって教育しようとする古い考を捨てることであった。教育勅語を引っこめても、これに代って新たなる道徳的戒律を作るようなことであったなら、何にもならぬことである。必要なのは戒律を新しくすることではなくて、戒律を捨てることである。これが新しい教育の立場であることを忘れてはならない。同様の意味において、教師の權威も捨て去らねばならぬ。したがって叱責、懲罰も当然これを必要としなくなって来る。新しき道徳は決して權威に服従することによって守られるのでなしに、相互尊敬によって守られるものだからである。新しき道徳は自由平等を基調とする。学校生活においても、決して階級的差別を認めない。真に民主的な学校であったなら、教師が上の階級であり、生徒が下の階級であるというような対立は認められない。生徒だから教師に敬礼しなければならぬ。服従しなければならぬということはない。敬礼も服従も相互的でなければならぬ。〔略〕{授業開始の「起立、礼、着席」について}教師が子供と一しょに頭を下げるのであって初めて平等の立場のあいさつであるといえる」

「道徳の權威を捨てよ、教師の權威を捨てよ、そこに新しき教育ははじまる」

「硬教育は權威に服従せしむる教育であり、軍国主義時代の遺物である。民主主義平和国家の建設を目ざすわが日本の取るべき道は、断じてそのようなものではない。仮装せるこの種古教育の出現に対して、われわれは充分警戒しなければならぬ」

 この時点、戦後4年の段階で、すでに新教育批判、スパルタ式回帰要望が出ていたことが、この特集記事を読むとわかる。

戦後日本は「民主主義平和国家の建設を目ざ」したわけで、その理念に照らせば、「硬教育」が復活する余地はないはずなのだが、実際にはそれは復活し、いまだにその考え方が日本社会の隅々にまで根づいていることは、この国に住んでいる者なら誰でも知っているはずだ。

そしてこれこそが、いまの日本の元凶ともいえるものだと思うのだが、問題は、なぜこうした考え方が、戦後まもなく復活し、その後長くこの国を支配し続けたのかだ。