うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

戦術→根性

ラグビー日本代表が世界ランク2位のアイルランドに勝ったことを日本の大衆がどう理解したかの件。勝因は優れた戦術とそれを貫いたことにあったようだし、緻密な戦術を貫くために徹底した練習が行われたようだ。いくつかのテレビ番組でのコメントをみるかぎり、「戦術」バナシから立ち上がり、最後は「練習量」に落とし込む、というトークの流れが傾向として見えた。つまり結局のところは、最大公約数的にわかりやすい「練習量」、いわばスポ根的な猛練習をしたから勝てた的な納得の仕方になっている。これは意識してやってるというよりも、無意識のうちに、視聴者(=多くは旧態依然とした価値観)の理解の落としどころでといったところだろう。

学校のスポーツも、いかに短時間に効率よくという時代、また、労働者もいまや働き方改革という時代なのに、世間を覆い尽くす価値観はいまもさほど変わらない。

んで、「努力すれば勝てる」って価値観なんだけど、これ、太平洋戦争下の日本でさんざん喧伝されたものでないかい?そんなこと言ってたから、最後はえらいことになったのでないかい?その教訓を学んでいたら、こんなことにはならないのだけど、戦後日本は学ばなかったわけだ。だから戦後教育で自主性は尊重されず、軍隊式の体罰やシゴキが僕らを教育したわけで。

ひとは、何かを理解するさい、当然ながら、自分の理解できる範囲でしか理解ができない。理解できない場合には、自分なりに「翻訳」をして、納得する。この歴史的大勝利が、「結局努力量がモノをいうのだ」式の後戻りになりませんように。

なお、ぼくはラグビーのことはさっぱり素人です。