うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

天皇という他者に依存する僕ら日本人

作家の門井慶喜が書く。

原武史『平成の終焉』は、平成が終わってから読もうと決めていた。〔略〕著者は言う。3年前、天皇明仁(本書の用語にしたがう)があの「おことば」で退位の意志を示したところ国民みんなが賛成したが、この経緯はじつは74年前、昭和天皇がラジオで終戦の意志を示したいわゆる玉音放送とおなじなのだと。天皇の直接の呼びかけで曖昧な民意がにわかに固まり、一方向に突進したと。私はここで慄然とした。天皇の呼びかけが恐ろしいのではない。突進しだしたらもう「前からそう思っていた」などとうそぶいて反省しない民意というものの自己過信ないし自己催眠が恐ろしいのだ。(朝日新聞2019.6.9朝刊p28)

ようは、他人まかせで、無責任な「民意」の問題だ。明治以来の天皇主義は、この国の民意の問題性を隠蔽する役割を果している。かつては、この、どうとでもなる民意が、為政者にとっては都合が良かった、かもしれない。が、いつまで僕らは、こうして能天気に、自律性を放棄し、判断を他者に委ね、のほほんと生きていかれるのか。いや、もう、そんな「幸せな」時代は、昭和の終焉とともに、終わっているのではないか。

風にたなびく、しなやかさ。権力に巻かれたふりをする、したたかさ。それは必要かもしれない。けれど、屹然とした強さも、これからの世界を生き抜いていくうえで、必要ではないのか。いつまで僕らは、天皇という他者に依存していくのだ。