うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

「だまって俺について来い」の国は「なんとかなるさ」の国

「だまって俺について来い」というのは、いまでは古臭い、亭主関白的な男の定番フレーズだ。

…と思っていたら、発祥は違っていた。

だまって俺について来い」は、無責任男・植木等が歌った映画の主題歌で、

脳天気な楽天主義讃歌とも、無責任な楽観主義を皮肉ったとも受け取れる八方破れな歌詞

だった。

このことは、たいへんに興味深い。

というのは、「だまって俺について来い」という男が、職場では「だまって俺について来い」という班長の言うなりで、班長は、「だまって俺について来い」という課長の言うなりで…の連鎖のてっぺんに天皇がいる、という、戦時下の特攻拡大体制と何等変わらない無責任ピラミッドがこの国のすがたではないかと思ったからだ。

まんまじゃん。

以下、メモ的な追記。

1.『ガンバリズム─金儲けの探し方と見つけ方考へ方』(昭和8年刊)では、金儲けの原則のひとつに「ガンバリズム」を挙げ、「明日は明日の風が吹くといふ気持ち」ではなく、何か一つの目標を考えついたら、諦めずに「頑張って」みれば、「金儲けは立ちどころに湧いて参ります」と説いている。これは逆にいえば、当時の日本人の多くが「明日は明日の風が吹くといふ気持ち」だったことを示している。

2.百歳超の現役美術家・篠田桃紅さんは、2017年公開のインタビューのなかで、日本人について、「何とかなるさで、その何とかっていうのに任せちゃってるみたい」と言う。以上、link

「何とかする」は自律的・主体的だが、「何とかなるさ」は他律的・受動的だ。「明日は明日の風が吹く」という、楽観的といえば聞こえはいいが、自力で困難を突破する意欲に欠けた、他人任せの、いいかげんで無責任な基本姿勢は、戦前・戦中・戦後と、何ら変わっていない。「無責任男」植木等は、いわば日本人そのものだ。この後、高度経済成長の後半から、日本人に「大国」「先進国」の自覚が芽生え、「過酷な戦争体験や戦後復興を乗り越え、がむしゃらに頑張って奇跡の経済成長を遂げた日本人」という、ヒーローチックな自画像に酔いしれるわけなのだが、いやいやそれは時代にライドオンしたあなたたちはたまたまラッキーだっただけで、頑張ったからいまの成功があるってのは、あくまでも気のせいですよ的な現実に、日本人は長い間、気付かなかった。うにゃ、いまでも気付いてないか、そりゃヤバいな。

で、この「頑張る」というコトバにも、「何とかなるさ」同様の他律性・受動性が含まれている事実に、そろそろ目を向けたほうがいい。