うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

教育勅語議論の幻想性

いまもそうだけど、教育勅語が、ときどき、話題になる。

正直、ぼくは教育勅語じたいにあまり興味がない。内容も、目を通したことはあるはずだが、よく覚えていない。ある種の理想を掲げたもので、とくに面白いものでもないし。

興味があるのは、それが話題になるとき、賛成・反対のそれぞれの主張が、いつも一定でワンパターンに感じることだ。

たぶん、教育勅語はある種のアイコン化してるのだろう。

賛成派は、いつも道徳的普遍性みたいなものを言うのだが、それは、社会や家族の「型」みたいなものだ。それが失われているという、敗戦後ずっと言われ続けている主張で、現状への危機感があるのだろうが、そもそも、その「型」がこの国で有益に作用したことが、一度でもあるのだろうか。ただの幻想じゃないのか。

反対派は、いつも軍国主義を持ち出すのだが、軍国主義って、そもそも何だ。根っこにあるのは、大国になってもっといい暮らしがしたいっていう、庶民の願望だったとするなら、戦後高度経済成長で経済「大国」になったのも、ぶっちゃけ大差ないじゃないか。教育勅語軍国主義って、ただの幻想じゃないのか。

…というわけで、ふたつの相容れない幻想がバトルってるって話。

それより、幻想の生成と普及定着のプロセスチーズを解明したほうが、有益だし、面白い。