うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

TOKIO山口達也問題と財務省事務次官セクハラ問題(続):「みんな」から「わたし」へ。

前回の続き。

TOKIO山口達也問題と、財務省事務次官セクハラ問題というのは、同根か。女性に対するわいせつ行為/セクハラ発言ということだけでなしに。

芸能界トップのアイドル事務所所属タレントが、おそらくはその「権威」を存分に行使した行い。官僚トップの財務省事務次官が、やはりその「権威」を存分に行使した行い。いずれも、本人もしくは家族の勇断なしには、おそらく闇に葬られていたであろうこと。そして、一部で指摘されているように、いずれも、おそらくは初犯ではなく、これまで闇に葬られたであろう類似の行いが複数あったであろうと推測されていること。

それぞれ、これまで磐石と思われていた業界内のピラミッド構造が崩壊しつつあることを、この2つの事例は示している。

そしてそれは何を意味するのか。

旧世代の価値観、行動規範の根底にあった「タテマエ」が経年劣化し、「みんなの時代」から「わたしの時代」へ、新旧世代間の価値観が激しく軋轢を起こしているのではないか。

「みんな」のために、「わたし」を犠牲にしてきた旧価値観から、「わたし」は譲れないと、「みんな」の幻想が滅んでいく時代に。