うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

「ネット騒然」で考えたこと

さっきweb広告に「ネット騒然」というフレーズを見つけて思ったこと。かつての人間社会は家と町や村、あるいはその周辺という狭いエリアでの情報だけを(ほぼ)処理していれば良かったが、今はバーチャルエリアが拡大し、世界中からさまざまな情報が降ってく…

航空機ペット問題と日本社会

航空機ペット問題についての所見を整理しておく。複数の芸能人らに対しだいぶ感情的な批判コメントが殺到しているようだが(詳細に読んだわけではない)、何故そうした騒動となるかについて。 すでに、 変わることへの拒否感か。変わらないこと、日々の暮ら…

大和岩雄『鬼と天皇』

「天皇も鬼であり鬼は天皇の影であるという視点」(p250)

平和は「安定した豊かさ」がもたらす。

平和はもちろん尊いものだが、ただ平和、平和と言っていれば平和が保てるわけではないということを終戦記念日の今日書いておく。 戦争を起こさないためには、安定した豊かさが必要だ。それも自国のみならず、理想的には世界中に。 かつての日本が(結果的に…

(仮説)先の大戦は日本人にとって「豊かさを目指した戦争」だった。

タイトルどおりなんだけど。当時多くの一般国民は貧しく、より物質的豊かさを求めたことが戦争への根本的原動力となった、のではなかったか。となると、戦後の農地改革から高度経済成長へと至る道はまさしくその延長にあり、物質的豊かさは獲得できた。が、…

考えなければ未来は開けない。

長時間のシゴキに耐えるとか、旧日本軍式を賛美する文化ってどこから来て日本社会に定着したんだろう。戦後の日本社会はなぜボロ負けした日本軍のスタイルを好んで踏襲したのだろう。それこそ思考停止ではないか。 厳しく強要された行為には、思考が伴ってい…

無思考という文化

表題の件についてこのところ考えているがまとまらない。こういう表現でいいかもわからない。 日本には自分の意見を表明するよりも時代や集団の流れに身をまかせるのを是とするような文化がある。それをここでは無思考と呼ぶ。 かつて日本が日中戦争から太平…

無思考

この国のデフォルトは無思考であるように思う。自分で考えない。付和雷同。空気。問題は先送り。波風立てず「まあまあ」。これは日本人の気質とかいうことではなくて歴史的に醸造され親から子に伝承されてきたもののように思う。その起源や歴史的経緯の詳細…

教育と外交の敗戦について

昭和20年の「終戦」に至る経緯とその根本理由について考えている。かつては「軍部の暴走」で片づけられることが多かった。最近ではそんな乱暴な言説はあまり聞かれないようになった。 日中戦争にしろ太平洋戦争にしろ、遡って満州事変にしろ、直接的には「軍…

昭和18年。

80年前の昭和16年12月に始まった太平洋戦争(呼称についての議論は省略)についての私的見取り図を資料を何も見ずにとりあえず書いてみる。 当時、国際情勢とともに見通しがつかなかった要素は軍事技術開発。第一次世界大戦の教訓の一つとして、戦争は…

(仮説)国民と天皇の戦争。

満州事変から日中戦争、太平洋戦争に至るかつての日本について、軍部主導との見方が存在する。 が、それは表層的な捉え方なのではないか、最近とくにそんな気がしている。 本質的には国民の戦争だったのではないか。それと表裏一体として、天皇の戦争だった…

言論不足。

世界は知らないが日本語圏においては言論が足りない気がする。ネット上に氾濫するどうでもいい書き込みや下らないネットニュースではなくて。

報道機関の編集権放棄について。

報道機関にとって「編集権」が重要なことは周知の事実。が、いつの頃からか、「我々が伝えるべき報道」よりも「読者・視聴者が知りたい報道」が優先されるようになって今に至る。それは実質的に編集権放棄ではないのかと、ふと思ったので書いてみた。

頑張りますは自己評価の外部依存

…と、約一ヶ月前のメモ書きにあったのでここに記録しとく。 「思考の外部依存」は、近現代の日本をみるうえで重要な点だと思ってます。 評価基準を自分の中に持てれば、ひたすら他者の顔色をうかがう「頑張ります」は消滅していくと思うんだが。 ぼくを評価…

「頑張っているのに失礼」考

朝日新聞2021年9月8日朝刊p11、(多事奏論)観客の選択「頑張っているのに失礼」なのか(田玉恵美) 客には満足して帰ってほしいのでは? と聞くと意外な答えが返ってきた。「芸術は、ブラボーや拍手喝采をもらったり、お客さんを喜ばせたりするためだけに存…

「日本軍の呪縛」からいい加減に解放されたい日本社会(追記あり)

日本社会が軍隊を通じて近代化されたことについては吉田裕『日本の軍隊』(岩波書店2002年)に詳しい。1945年の敗戦まで、日本社会は軍隊によって規律化されてきた。 敗戦後、軍に対する国民感情が一変し、尊敬から侮蔑(というのはちょっと言いすぎか)へと…

大人たちは若者に対して無為無策のツケを押しつけていないか。

「特攻」については様々な見方や意見があるが、僕は「責任ある大人の無為無策のツケを若者が払わされた」ものだと考えている。昭和19年6月のマリアナ沖敗戦の後、日本政府と日本軍は迅速に終戦工作を進めるべきだったが、それから約1年間の間、外交面も…

「がんばれ」はお母さんの言葉。

今日の朝ドラ、主人公の母が「がんばれ」と言っていた。 先日とあるスポーツの大会で、選手のお母さんとおぼしき女性が「がんばれ」と言っていた。選手たちの先輩やチームメイトは「ファイト」「ここからが勝負」等々さまざまな掛け声だったが「がんばれ」と…

ああ言えばこう言う。

なんか反論しとけば「っぽい」感じで所詮は物事の顛末に無責任で高みの見物か。

信頼ベースのコロナ対策で東京五輪開催を

いま政府・各自治体がとっている人流抑制を基本としたコロナ対策には、発想の根幹において致命的な問題がある。人々が外出することで会食や飲酒などの感染機会が増えるという理由で外出そのものを抑制するわけだが、そこには「人々は外出したらどうせ我慢で…

人流抑制策には重大な問題がある。

政府・行政はコロナ感染対策として人流抑制策を採っている。おそらく専門家の提言に基づくものだろう。人流を抑制すれば結果的に感染が抑制されるかもしれないが、感染抑制は「人と人との接触機会を減らす」(link)ことによって実現できるもので、接触削減…

僕らはクソでカスでゴミらしい、彼等にとっては。

僕ら日本国民、一般市民はクソでカスでゴミらしい、為政者や官僚たちにとっては。 彼らにとって僕らはウィルスの伝播者に過ぎず、科学的根拠に基づく正しい感染防止対策を伝えても理解できないほどの馬鹿かもしくはスルーして享楽に明け暮れてしまう馬鹿なの…

日本的デモクラシーの正体について考察

御田寺圭氏の主張から。 国や自治体はこの1年間、自分たちの「お願い」を聞き入れてくれない者には、市民社会で「私的制裁」が速やかに起こるように最大限の工夫を凝らしてきた(事業者名や店舗名を公表するなど)。いわゆる「自粛警察」の活躍に期待してき…

人流抑制は感染対策に効果あんの?

「大型連休 新型コロナ 集中的な感染対策で人流抑制へ 政府」(2021年4月29日 4時42分)とNHKは伝えているが、人流抑制は感染対策に効果があるのか。NHKのデータで東京都の感染者数の推移(左)と街の人出の状況(右:ここでは渋谷スクランブル交差点付近)…

「わかりやすさ」について

「マスメディアは「わかりやすさ」にこだわっているように思えます」と永井玲衣氏は言う。 ネットメディア「Choose Life Project」の動画配信番組で司会をしています。昨年末に配信した「さよなら資本主義」は2時間を超える難解な内容でし…

「日本村」はコロナで終焉するか。

日本国を小さな1つの村と捉える。「日本村」は秩序を重んじる年功序列社会だ。女性よりも男性、若者よりも老人の社会的地位が高い。そして、フリーランスよりも組織人、民間企業よりも政府や行政の社会的地位が高い。 「日本村」で最も社会的地位が高いのは…

日本はもはや民主主義国家ではない。

コロナ禍の日本社会は「嘘」に満ちあふれている(日本社会と書いたのは単に日本語圏外ではどうだか知らないから)。いまが息苦しいのはマスクのせいもあるけどひたすら嘘にまみれていきていかなければいけないからだ。何がステイホームだ。 僕ら国民市民を守…

森喜朗発言の本質は日本社会の根本的な問題そのもの。

「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」「みんなわきまえておられて」という森喜朗氏の発言だが、これは日本の社会や組織の特質や問題に関連している。 長老(男性の高齢者)が権力の頂点に立つピラミッド構造。会議の本質、問題や決めるべ…

なぜ一枚岩が好きか。それは僕らが実はバラバラだから。

昨日、電車に乗って都心に出たら、車内が静まり返っていることに驚いた。 去年クリスマスの日、僕は、 久しぶりに電車でイヤホン、音楽聴いてる。コロナ以来、人のおしゃべりが消えたので聴く必要なかったのですが、最近しゃべる人が増えた。[link] と書いた…

「コロナ維新」への期待。

公共空間で喋りを止めない大半が「いい大人」であり、子ども・若者にとっていい迷惑だ。行動変容すべきは首相を筆頭にした「いい大人」たち。 とツイッターに書いた。 別の言い方をすると、新しい事態に対応できない大人世代と、対応できている若者世代。こ…