うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

「天皇主義」について

天皇制、というのはもともとは共産党用語だったりして、できるだけ使わないようにしているのだけど、まあでも一般的には天皇制というワードはよく使われるわけだが、しかし、実態的に「天皇制」で良いのだろうかとの疑問が湧いた。

というのは、天皇の神格化が進んだのは昭和初期と推定されるのだが、これを果たして「誰が」進めたかを検証していくと、どうもはっきりしない。一般的な考え方では「軍部が」となるのだろうが、軍部だけではない。政府や、発言力のある文化人、そして、一般の庶民に至るまでが、この神格化に加担していた、ような気がする。気がする、というのは、そこまでちゃんと検証してないので。

となると、「天皇制」ではなくて「天皇主義」というのが正しい表現ではないかと思ったりするんだけど、どうだろう?

なお、5月8、9日の2日間、ふだんほとんど誰も見に来ない当ブログに、比較的大量のアクセスがあったんですが、なにか、インフルエンサー的な方からリンクでも貼られたのでしょうか。

小国になり損ねた日本(仮)

日本は「偉大なる“愚民”国家」として繁栄してきたと思っている、と、小説家の真山仁氏は言う。
「それは愚かな国民という意味ではない。国家のかじ取りはおかみに任せて、ひたすら真面目に働き、“愚直”に生きる──。このような社会の成り立ちは、世界でもまれに見る一体感と成長を生んだ」(2019年4月4日朝日新聞p11)

その愚直な生き方は、おそらく、日本人の生来のものだ。
僕らは、「なんとかする」ではなく「なんとかなる」と思う。自力で未来をこじ開けるような強さはないけど、あるがままの宿命を黙って受け入れる弱さがある。いや、それが僕らの強さというべきか。
災害があっても、ずっと立ち尽くして泣いてたりなんかは、しない。黙々とガレキを片付けて、暮らしを再開する。明治期の外国人の手記に、そんなのがどっかに書いてあった。

明治期の国家設計は、西欧列強に早く追いつけ追いこせを目指した。
天皇を頂点とする、一糸乱れぬ一体感ある国家で、富国強兵を急いだ。国民がみな同じ方向を向き、同じ考えをもって邁進することが求められた。国民ひとりひとりの自主的思考は疎んぜられた。
全体のより良い暮らしのために、個の幸せの追求は、邪魔だった。
僕らは、考えるのをやめ、おかみ頼みの人生を送るようになった。言い換えれば、自分の人生を他人任せにしたのだ。
大国になるために。

1945年の敗戦で、日本は小国になった。いや正確にいえば、この時点で独立国家ではなくなった。1952年の再独立で、日本は小国としてスタートを切った。だが、国際情勢で、つまり端的にいえばアメリカの都合で、日本は小国として存在し続けるのを許されなかった。もしもここで小国になれていたら、僕らは自主的思考を獲得できたのかもしれないが、その機会はアメリカに奪われた。

高度経済成長は、独立からわずか3年後の1955年から1973年までの間だ。そして日本が「経済大国」という「大国」の座にのぼりつめたのは、1970年頃のことだ。明治以来の念願だった大国。自主的思考を置き去りにした代償として、「愚民」が手に入れた「大国」。

しかし、上り坂はここで終わりだった。
自主的思考を外部委託するような「怠け者」が、未来永劫、いい思いをするなんて、そんなズルい話があるものか。
…という先に、いまの日本があり、僕ら日本人がいる。

(大筋を仮に立ててみた)

以下追記。

「その日は必ず来る」だとか「頑張れば夢叶う」だとか、夢物語じゃあるまいし、大の大人がそんなことを言うこと自体、自主的思考の外部委託であり、思考停止の極みである。現実には、「思い通りにはいかないのが人生」ってもんじゃねーか。僕らはだから、「逃げ恥」の教えのように、小国のような柔軟な戦略をもって、生き抜いていくべきなのだ。外部委託する「幻想の大日本」はもう存在しないのだから。「一億火の玉となって」戦ったと思えた、戦時中~高度成長期はもう過去の遺物なのだから。

天皇はこの先も国民の総意に基づき国民統合の象徴であり続けられるか

国民健康保険がこうなってることを、いまさら知った。

2012年7月、外国人登録制度が廃止され、それに伴い、3カ月を超えて在留する外国人は国民健康保険に加入することとなった。 - link

国民じゃ、ねーじゃん。

巷ではこの制度を悪用した事例だとかが問題視されてるようだが、ぼくが注目したのはそれではない。「国民」の定義が、なし崩し的にボーダレス化してること。

日本国憲法第1章第1条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 ここで規定する「日本国民」に外国人も含まれ、かつ、その比率が年々上昇していくとすれば。天皇は、国民の総意に基づき、国民統合の象徴であり続けられるのだろうか。

明治開国以後、なんとかなったニッポン史(仮)

明治以前の日本の庶民は、貧しいなりに、そこそこ幸せな暮らしを送っていた。…とする。彼らの基本的な考え方は、「なんとかなる」だったものと。

明治開国は、庶民にとって幸せだったか。富国強兵にせきたてられる。軍隊が近代的な生活様式をもたらす。天皇を頂点とした国家体制に組み込まれる。激変のなかでも、彼らの基本的な考え方は変わらなかった。「なんとかなる」と。

天皇を頂点とした体制と、「なんとかなる」が合体したのが、その後の日本の歩みだ。

国際連盟脱退→なんとかなる。

悪化する戦況→なんとかなる。

戦後復興→なんとかなる。

高度成長→なんとかなった!

結局、高度経済成長による「大国」成就をもって「なんとかなった」日本ではあったが、もともと、「なんとかする」ではなく「なんとかなる」と考えてずっとやってきたから、この先のビジョンなんてない。

戦争の敗因:日本は、頑張ったから負けたのだ。

太平洋戦争で日本はなぜ負けたか。

まず、もともと勝てる戦争ではなかったとの意見はもっともだ。だが、戦争と外交を一体のものとみなせば(というか一体だ)、劣勢を承知のうえで戦略的に戦い、何らかの成果を得るという考え方もある。その戦略をもたないままに戦争に突入してしまったという面もあるだろう。

ともかく、戦争に突入してしまった日本が、南方資源を絶たれ、国民生活は困窮し、サイパンアメリカに取られ、空襲を雨あられのように浴び、沖縄戦で無数の悲劇を生み、原爆を投下され、ソ連侵攻を受けて敗北したのは、何故か。

それは、頑張ったから、である。

頑張りとは、究極的には(ちょっと乱暴に言うが)、自主的思考を放棄して集団の利益に奉仕する行為だ。日本軍の前線兵士たちは、頑張った。あまりに頑張ったので、戦略戦術を統括指揮する中央が、その頑張りに依存してしまった。前線兵士が頑張ることを前提に作戦を立てるものだから、補給を無視した苛烈な作戦になった。国内の日本人は、困窮によく耐えて、頑張った。あまりに頑張ったので、やはり中央は、その頑張りに依存してしまった。国民生活を犠牲にして戦争を続行した。

前線兵士が頑張らなければ、国民が頑張らなければ、あの無茶な戦争は、もっと早い時期に続行不可能となっていたはずだ。それをわかっていたからこそ、中央の政府・軍は、懸命に国民を鼓舞していたのだ。国民がもっと大胆に、兵器工場での労働をサボったりしていればよかったのだ(←一部の学生たちはそれをやっていた)。

国民が自主的思考を放棄したことが、いちばんの敗因だと思う。

参照:平和≒戦争:「戦争は絶対にダメ」は、逆に戦争へのエンジンとなりうる

自主的思考と象徴天皇

こないだ、朝日のオピニオン「平成流の象徴天皇」に掲載されたものを抜粋。

平成の時代には天皇と政治との関係が大きく変わりました。日本国憲法が求める象徴天皇像からの逸脱がさらに進んだと言っていいでしょう。〔略〕戦争を繰り返さないこと、戦争に対する責任を明確にすることは、国民が自らの主体的責任で解決すべき問題であり、天皇の「おことば」や訪問で代行したり、解決したりできないし、またすべきでもありません。〔略〕国民が選出したわけではない天皇の権威に依存し、代行してもらおうという心情こそ、主権者国民の責任をあいまいにし、民主主義の精神を掘り崩すものです。
渡辺治朝日新聞2019.3.7朝刊15面

 「国民が自らの主体的責任で解決すべき」が、この問題のキモだと思う。

明治以来の天皇制は、自主的思考とは相容れない。天皇制は一様制のためのもので、多様性社会にはフィットしない。

今後、日本社会はどうあるべきかという全体設計のなかに、象徴天皇制の議論は落とし込んでいくべきだ。

追記:この国に天皇がいるということは、ふだんの僕らの暮らしにはあまり関係がなさそうに思えたりするかもしれないけど、そんなことは全くなくて、むしろ、僕らの暮らしや考え方に直結した、とても大事な問題だと考えている。僕らの楽観的な他律的思考(=なんとかなるよ)は、とどのつまり、天皇を頂点に整えられた明治以後の日本社会の体制そのものに根ざしているのであって、ここが根本的に変えられないかぎり、僕らは本当に自律的な存在になることも、多様性を獲得することもできないから、世界の潮流からどんどん脱落していくしか、ない。

「なんとかなる」の国ニッポン

日本人の国民性、というか、日本人集団の伝統的特性として、「なんとかする」ではなく、「なんとかなる」という基本方針(?)があるように思う。

自律的に考え、行動して、問題を「なんとかする」のではなく、他律的、つまり、他人任せで、問題があっても「なんとかなる」と考える。

問題はどんどん先送りされる。自分に何か責任があるとは思わない。

楽天的で、無責任。喉元過ぎれば何とやら。

何かというとリーダーの責任を問うたりするんだけど、リーダーも同じ穴のムジナで無責任、先送りが基本体質なのでリーダーをすげかえただけでとりあえず本題の本質を問うことはしない。誰それが悪いんだと叫べば溜飲が下げるのでとりあえずおしまい。

…と書いてて気付いた。「とりあえず」に次ぐ「とりあえず」。