うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

「がんばる」とは、絶望的な願望をあらわすフレーズか。

さっき書いた記事「昭和史のパラレルワールド:今後「日本人」は失われていく。」で、こう書いた。

日本は「がんばって」大国になったわけではない。いくらがんばろうと、また、がんばらなくても、冷戦という国際情勢下でアメリカが下した現実的な判断がなければ、日本はいまだに「惨めな敗戦国」のままだっただろう。

 さらに考えてみた。

日本が明治以来追い求め続けてきた「大国」の座は、主体的につかみとったのではなく、棚ボタ的に貰ったものだ。

それを、当の日本人たちが、自覚しているのか、自覚していないのかはともかくとして。

かりに自覚していたにせよ、その現実は認めたくはない。

じつは、「がんばる」という言葉が、いまの意味で、過剰に用いられるようになったのは、日本に経済大国の自覚が生まれて以後、1970年代以後のことだ。

それは、じつは、この他律的に与えられた「大国」の地位を、あたかも自らが「がんばって」入手したものとみなしたい、という、人びとの願望が、その現象を生んだのではないか。

「がんばる」の本質は、現実逃避なのではないか。

となると、人びとが、「がんばる」とか「がんばれば夢がかなう」とか、現実逃避フレーズのなかに逃げ込んでいるかぎり、状況は絶望的なのではないか。

「がんばる」とは、じつは、絶望的な願望をあらわすフレーズなのではないか。

昭和史のパラレルワールド:今後「日本人」は失われていく。

いまの「日本人」のアイデンティティ形成の過程をみていくうえで、昭和史は決定的に重要だ。アイデンティティの萌芽がうまれたのは昭和初期で、アイデンティティが確立したのは昭和後期だから。平成は、その確立された強固なアイデンティティの弊害に悩まされ、それを克服しようともがいた30年間だったのではないか。

昭和の約60年間をもって確立されたものが、平成の30年をもってしても、いまだ克服できていない。

そのアイデンティティの核は、「大国の自覚」だ。

明治以来の日本は、ひたすら、「大国」を目指して突っ走ってきた。軍事大国としての試みは大失敗に終わり、その後はアメリカに守られながら、経済大国として成功を収めた。

戦後占領期の日本にはさまざまな選択肢があったが、もしアメリカが、初期の厳しい占領対策を変えなかったら、日本は経済大国になることはなかった。よくて軽工業国、あるいは農業国として、貧困にあえぎながら、低い経済成長をずっと続けていた可能性もあった。

どれだけ日本人が「がんばっても」、だ。

つまり、日本は「がんばって」大国になったわけではない。いくらがんばろうと、また、がんばらなくても、冷戦という国際情勢下でアメリカが下した現実的な判断がなければ、日本はいまだに「惨めな敗戦国」のままだっただろう。

それが現実だ。

アイデンティティは、自分が立っている、その土台に、大きく左右される。もしいまの日本が、低成長の農業国、惨めな敗戦国のままであったら、僕らのアイデンティティは、どうだっただろうか。その「パラレルワールド」を想像してみる。自信をもてる歴史がない以上、そのアイデンティティも、か細く、頼りないものだったはずだ。いいかえると、「日本人のアイデンティティ」なんて頼りないものに依存するのではなく、「おれはおれ的なアイデンティティ」で、各自が生きていたはずだ。

「正解」のないその社会は、単一性・画一性よりも、多様性を認める社会であったはずだ。

そう考えていくと、日本が明治以来憧れ続けてきた「大国」の座を得たことで失われたものが、どれだけ大きかったかがわかる。

と同時に、日本社会がこれから向かうべき方向性も、明白になる。

ぼくらは、どんどん、「日本人としてのアイデンティティ」を喪失していく。多くの外国人を受け入れ、多様なあり方、多様な価値観を受容する社会になっていく。なっていかざるをえない。

そうして日本は、「普通の国」になっていく。

日本人というアイデンティティの歴史は案外と浅い

今朝の朝日新聞大坂なおみ選手の活躍に関連して、

快進撃を喜びつつ、応援や報道で「日本」や「日本人」が多用されることに違和感を抱く人たちがいる。

との記事を掲載している。

下地ローレンス吉孝氏は、「当たり前で固定的だと思われていた『日本人』が問い直されているのではないか」と語っている。

うん。それは、このブログや、「週刊:日本近現代史の空の下で。」で書いてきたことだ。

ざっくりいうと、日本人というアイデンティティを日本人が持つようになったのは、わりと最近。少なくとも、明治初期において、日本人には日本人というアイデンティティはなかった。原武史『皇后考』(講談社学術文庫2017、p10)によれば、神武から大正までの皇統が確定したのは大正末期だったらしいのだが、その後昭和初期におこったさまざまな事件をみると、このあたりから日本人というアンデンティティが輪郭を持ちはじめてきたのではないかとも思う。その後の、太平洋戦争で敗戦するまで経緯は、アイデンティティ確立の過渡期ではなかったか。このアイデンティティが確立するのは、じつは戦後の高度経済成長期、それも後半以後ではなかったかと思っている。

高度経済成長を1955(昭和30)年~1973(昭和48)年として、その中間地点は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年。日本人に「経済大国」の自覚が生まれ始めたのは、この後だ。

つまり、日本人というアイデンティティが確立してから、まだ半世紀程度しか経っていない。

そんな歴史の浅いアイデンティティ固執するのは、馬鹿らしい。

近代化と高度成長:いまの僕らを縛りつけるもの。

ぼくら日本人は明治以降のこの国の歩みに規定されている。で、1945年の敗戦というファクターに目がいきがちになるんだけど、じつは本当に重要なのは、明治以降の近代化と、戦後の高度経済成長、この2点なのではないか仮説。

近代化:軍隊が浸透させた近代化によって、暴力的な上意下達構造。さらに、西洋文化流入で混乱したアイデンティティに救いを求めた先が天皇制。

高度経済成長:敗戦によっても上記「伝統」は変わらなかった。高度経済成長は、それまでキャッチアップ日本が追い求めてきた「大国」を実現させ、いくらそれが他律的タナボタであったにしても日本人は「これでいいんだ!」と自信をもち、この時代のスタイルがデフォルト化した。

が、日本人の精神史において、大きな転換期がやってきている。それを象徴するのは、平昌五輪の選手団で主将をつとめた小平奈緒選手が結団式でつかった、「百花繚乱」という言葉だ。

日本人のメンタリティは今後、地殻変動を起こす。その先にあるのは、おそらく、「日本人」ではない。坂口安吾が語った「世界精神」に向かっているのだろうと僕は思う。

指導者の暴力:日本の近代化と軍隊

けさの朝日新聞忠鉢信一氏。

暴力や暴言を使った指導は許されないだけでなく、そもそも効果が低いとされている。賞罰によって刺激された気持ちより、選手の心の中からわき出る意欲の方が大きな成果につながる、というのが心理学やコーチ学の定説だ。それでも、なぜ指導者は暴力をふるうのか。

明治以降の日本の近代化は、軍隊と密接な関係にある(吉田裕著作のどれだっけか?)。軍隊式の上下関係とともに、日本人は近代化への道を歩んできた。それがDNAとして日本人の集団、組織、社会に組み込まれているかぎり、暴力は止まない。

…のではないかなあ。

付和雷同の傾向をもつ日本人の国民性

昭和天皇は敗戦原因のひとつに、付和雷同の傾向をもつ日本人の国民性をあげている。(茶谷誠一2017『象徴天皇制の成立』p265)

当の国民は、なにかといえば指導者層を批判し、自らの「忖度」には触れない。

どっちが卵で、ニワトリだ。

「がんばる」という尺度。

この国には、世界的には極めて珍しいであろう尺度が存在する。

それは、「がんばる」という尺度だ。「あいつ、がんばってるなあ」といえば、それは賞賛の意をあらわしている。

しかし、その尺度は往々にして、固定した上下関係のなかで耐える、という尺度としても使われる。「ドン」に従順に、嫌なことがあっても我慢することが、賞賛に値する、とされる。

いつからこの国は、こんな尺度がまかりとおることになったのか。戦時中、といいたいところだけど、実は戦後のどこかの時点ではないか、という気がしている。

今後の課題だ。