うにゃにゃ通信

日本近現代史系公開めも書き

将来の夢と社会規範

子どもに対する「将来の夢は何ですか」という月並みな質問、それに対応する夢のある月並みな答え、それはこの日本社会を覆う時代遅れの社会規範とリンクしている。

ぼくは子どもの頃、将来の夢は無かった(※註)。だいたい、男の子や野球選手とか女の子はケーキ屋とか言って、ほとんど叶うわけないじゃん。おおかたリーマンになるんだし。

大人は何故、子どもに将来の夢を語らせるのか。それは、「若者は夢を抱き、その実現に努力する」という社会規範に沿った子どもかどうか、その問いで見極めているのだ。つまりは踏み絵だな。嘘でもいいから夢を語り、「ぼくがんばってますプレイ」を大人に見せられる子どもが、大人の築き上げた既存の社会規範に沿った子どもと判定される。このへんの話は以前どっかに書いたけど詳細略。

※註:といいながら、小学校の卒業文集にはしっかりと将来の夢を書いていて驚いた)

「ずっと同じ」でいいわけないだろ。

日本が単一民族であるという自己認識は、いつから生じたのであろうか。

司馬遼太郎は、幕末には「日本人は実在しなかった」と書いています。薩摩人や長州人、土佐人はいたが、日本人という自意識をもつのは、坂本竜馬ただ一人であったとしています(『竜馬がゆく(三)』文春文庫、1975年p217)。坂本竜馬だけだったかはともかく、日本人に日本国民の自覚が芽生えたのは、明治期もなかばを過ぎ、日清戦争のあたりからだったとする説があります(『日清・日露戦争をどうみるか』(原朗、2014年)p77)。当時、多くの日本人は、徳川家康のことは知っていても、明治天皇のことはあまり認識していませんでした。自分たちの国=日本が、隣の大国=清と戦うということを通して、国民意識が生まれ、定着していきます。日清戦争によって日本国民が誕生した、ともいえるわけです。(日本精神・前編:「日本人らしさ」の源流は、満洲事変後にあった

 と以前書いたように、日本人というアイデンティティは明治以降であるから、日本が単一民族であるという自己認識もそれ以降なのだろう。で、単一民族で長い歴史をもつ日本を世界に例がないとして賛美する考え方も、当然それ以降のものだ。

さて、単一民族で長い歴史をもつレアな国のどこが、賛美に値するのだろうか。言い換えると、「ずっと同じ」のどこが素晴らしいのだろうか。そして、日本ははたして「ずっと同じ」国だったのだろうか。

また、「ずっと同じ」が素晴らしいとしたら、「この先もずっと同じ」が素晴らしいということになるが、それでいいのだろうか。過去と現状を肯定することで未来の変化を拒み、自主的思考を停止したままで没落していく、あるいは、変革は常に黒船でやってきて、外的圧力によってしか変わらない国のまんまで、いいのだろうか。

いいわけないだろ。

「狂気の軍部」というフタ

いまだに、太平洋戦争時の日本の軍部を「狂気」というワードで説明する向きがあって、げんなりする。

それは「フタ」なんだ。自分たちが向き合うべき現実に「フタ」をしているんだ。それが「狂気の軍部」というフタなんだ。

そのフタをあけない限り、日本の戦後は終わらないし、どうせまた同じ状況に陥ったら、同じことするよ。で、また「狂気」ってワードでフタをするんだろうな。懲りないなあ。

デフォルト化する日本

昨日の「無責任な勤勉さ(天皇の国)」の続き。

さいきん、車で道を走っていると、怠惰な運転をする人がやけに多い気がする。代表的なのはショートカット。「だろう運転」の代表格。交通事故が減ったこと、高齢者ドライバーが増えたことなどとの関連はわからないが、路上が怠惰な平和さに溢れてきた。昨日と同じ今日、今日と同じ明日がやってくるに違いないと、根拠なく確信しているような、思考停止な路上。

全国どこにでも見られる駅前商店街の衰退は、無責任な勤勉さの成れの果ての典型例のように思う。商店街の構成員たちはみな朝から晩まで勤勉に働いてきたのだろう。がんばって働いてさえいれば幸せになると信じて。そう、信じて。でも時代は変わる。変わる時代に適応しようとしない。変わるのは自主的思考が必要だ。誰かがなんとかしてくれる的な勤勉さでは適応できない。で、放置されたまま年月が過ぎる。放置プレイがデフォルト化していくと、年々少しづつひどい状態になっていく。初めてそこに訪れた人はその有様に唖然とする。なんだこのゴーストタウンは。

焼け野原から今年で75年。少しづつ劣化していくこの国がデフォルト化していく。

無責任な勤勉さ(天皇の国)

無責任な勤勉さ、について最近考えている。

勤勉なんだけど無責任。それは、戦時中の多くの日本国民に言えることではないかと思う。

戦後の代表的な言説に「軍部や特高が怖くて何も言えなかった」というのがある。でも本間報告書なんかを読むと、そうは思えない。むしろ、(特高は知らんが)政府や軍は国民におもねっていたような印象すらある。ミッドウェー敗戦を隠したのも、それまで「勝った勝った」で国民を喜ばせておいて、いまさら負けましたとは言えない雰囲気というか、国民の反発が怖かったんじゃないかと。だって、海軍は開戦前、「海の守り堅し」とか何とかホラ吹いてたがゆえに今更アメリカと戦争できないとは言えないってことだったしさ。町のいたるところには軍国おじさん、軍国おばさんがいてさ。

そうじゃない国民もいた。

某高級軍人が当時一高を訪ねた時、「ゾル帰れ」の落書きがあったという話を聞いた。「ゾル」とは当時の高校生が軍人を指す蔑称だった。また、私が偶然浦和高校生が応召学生を送る集会を上野駅前で見たが、軍人が見たら立腹しそうな「大いなる自由を愛せ」の大のぼりが立っていた。(小川再治『孤高異端』p93)

「大いなる自由を愛せ」は、大切なことだ。国民から自由を剥奪しといて、何が大日本だ、というような、健全な言説を奪ったのは、政府でも軍部でもなく、国民みずからだったのではないか。

敗色濃厚なことは充分承知のうえで軍需工場で勤勉に働いて、誰かが何とかしてくれると思考を停止する無責任さ。その無責任体系の一番上には天皇がいる。「誰かが」は下から順に上に送られ、それ以上上に行けないところに天皇がいる。

この「無責任な勤勉さ」は戦後日本、現代日本にも継承された、と僕は思っている。敗戦をきちんと反省せずにここまで来てしまったからだ。

猫は、がんばらない。

猫は、いつも一生懸命に生きている。その一心不乱な姿がかわいかったりする。人間の3歳児程度の知能があるとも聞いたことがあるが、まさに3歳児的な一心不乱さだ。

一生懸命だが、「頑張り」はしない。その違いは決定的だ。

「頑張りを見せる」という。あるいは、「頑張っていれば、きっと誰かが見てくれている」的な言説がある。「誰か」とは、親とは教師とか上司とかの「上の誰か」であって、弟とか後輩とか部下とかの「下の誰か」ではない。

その「頑張り」は、見せかけだ。

いっぽう猫は、見せかけの努力などはしない。もっと本質的に生きている。猫ばかりか、人間以外のあらゆる動物は、見せかけの努力などはしない(社会を構成する猿とかはもしかしたら別かもしらんが)。

猫を見習って、ぼくらも、見せかけの努力なんか、やめちゃおう。

統制社会と「がんばる」

日本社会の統制が進んだのは昭和初期以降で、同時に天皇の神格化と「がんばる」の浸透が進んだ。

西洋社会に対抗する日本的な価値観として、天皇を頂点とした統制社会が推奨され、そこでの個々は「がんばる」ことがデフォルトの美徳となった。

民主主義よりも全体主義に親和性が高いものだが、当時は全体主義というよりも、あくまで日本的なあり方が求められた。日本主義的思想というべきか。

日中戦争の泥沼化から太平洋戦争にかけてこの思想は強化され、それに感化された若者たちが戦後高度経済成長下の主役となり、ここに日本的統制、「がんばる」社会の完成をみた。

…と、歴史的な流れを俯瞰してみた。現段階ではあくまで仮説だけど。

今後の日本社会が求められるのは、この統制社会からの解脱。